国語の定番で、
傍線部①の「こんな性質」とはどのような性質か、
本文中から抜き出して書け。
あるいは
まとめて書け。
という問題がある。
◯◯な性質 となるところを文中から探すだけの問題だが、これを苦手とする人もいる。
実は国語は、小学校から高校まで、その出題のパターンは概ね同じである。
本文中から答え、または答えになりそうな部分を探し、それを題意に合うカタチで解答できれば良い。
最近の流行りは、
◯◯に「 」こと。
に合うように書け。
というもので、文中の
◯◯がボールを投げた。という部分を
◯◯に「ボールを投げられた」こと。
のようにアレンジさせる問題が増えている。
つまり「探して」なおかつ「その文を変形できるか」をセットで問うものだ。
国語は他の教科と違い、学校で習わないことがテストに出る。
現代文、古典問わず、教科書の本文が入試に出ることはない。作者名を答えるなどの単問もない。
あり得るのは文法とか歴史的仮名遣いなどだがその配点はわずかだ。
解き方、読み方、解答のしかた、などの技術面は、一切習うことがない。
しかし、裏を返せば、身につけるべき技術はそれほど多くもなく、一度感覚を掴んでしまえば、わりと点数が安定しやすい教科でもある。
具体例となる
「たとえば・・・」と、
抽象化された
「つまり・・・である。」
の繰り返し。
それは「意見(考え)」なのか「事実」なのか。
そういう機械的な読み方と解き方を訓練することがカギになる。
よく「うちの子、本を読まないんですよー」という相談を受けるが、それは「国語の点数を上げる」という視点で言えば少しズレている。
読書というのはその数千倍も価値のある知的な活動であり、国語の点数のことだけならそれはパワーショベルで小石を拾うようなものだ。
国語の点数はまっすぐテストの訓練をするほうが合理的だろう。
たとえば中学生であれば、もっとも効果的なのは、小学生の問題を繰り返し解くこと。
前にも書いたが、国語は出題パターンが決まっている。本文のレベルと長さ(行数)が難化していく仕組みだ。
練習するときの本文が長いと、時間効率が悪い上に結局どの技術を練習すべきかがよく分からなくなる。
また、そもそも「読み方」を知らないので、本文を読んで理解することもできない。
したがって、「まずは技術面」をトレーニングすることが重要であり、そのためには短く平易な文章で解答スキルを徹底的に磨くことが大切なのだ。
その技術が身につけば、難解な文章も読めるようになるので、そこから学年に合った問題にチャレンジすれば良い。
国語は機械的な訓練を。
それが重要なのだ。