褒めると叱る | 勉強で困らないために

勉強で困らないために

成績が上がらない。そもそも勉強しない。「どうすれば?」よりも「どうあるべきか?」
教育の王道を突き進む『学習塾LOGOS』(福岡県春日市・太宰府市・大野城市)の代表が考える勉強の本質とは。

大なり小なりみんな努力はしている。

しかし,それに比例して結果が出ることはない。

少しの努力で大きな実績を生むことがあれば,どれほど努力をしても結果に結びつかないこともある。


なかなか結果が出ないとき,それを素直に受け入れることは難しい。

したがって周囲の人間がよく観察し,努力を認めてあげて,次の一歩を踏み出す支えになってやる必要がある。


褒めるとは「我々が気づいてあげる」ことを言う。

少しでも字が丁寧になった,計算ミスをしなくなったなど,表面的な点数以外の「変化」に気づいてあげることが重要である。

答案だけでなく問題用紙の書き込みを見れば「途中まではできていたな」ということも分かるし,また「しょーもない落書きするくらいなら見直しとかせーよ。」なども,決して褒めてはいないが「観察」することに意義があると思う。


また逆に,観察することで努力が足りないこともよく分かる。例えば社会の記述問題などは,定番問題に対して模範解答通りにバチっと書く,または練習の痕跡が見える書き方をする生徒もいれば,いつもフィーリングで雰囲気的にそれらしいことを書く生徒もいる。本人が何と言おうが,練習していないことは見ればすぐに分かる。


それでは努力が足りない。

問題はそれを如何にして自分で気づかせてあげるか。


叱るとは「本人に気づかせてあげること」だ。

実は,努力が足りないとき,それは本人も自覚していることのほうが多い。

分かっていながら,それでもやったフリ,がんばっているフリをしないと,自己を保っていられない。

人間はそれほど強くないので,言い訳は時に有効な薬となる。

問題は,それが長期化したとき,それは本人にとって事実となる。つまり,最初は「フリ」だったのが「本当にがんばっているのに結果が出ない」ことになる。

したがって,周囲の人間が本人の努力不足を早い段階で指摘してあげることで現実に引き戻してやらねばならない。


褒めると叱るの両者に共通することは観察である。

観察し,気づいてあげる,気づかせてあげる,の繰り返しが「指導」と言える。


「見る」と「観察」は別物。

これはシャーロックホームズの名セリフだが,肝に銘じておきたい。