【logic’s航海日誌】vol.014「できないものはできないを自覚できているか?」 | ~学びと遊びのコラボレーション~大魔道士的家庭教師logicの航海日誌

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茨城県在住のプロ家庭教師こと大魔道士的家庭教師・logicです☆「勉強というマイナスイメージがあるものをいかに面白くできるか?」というテーマプラス、人生を面白おかしく生きる知識、知恵を追及しています☆キーワードは“冒険”、“コラボレーション”!

【logic’s航海日誌】vol.014「できないものはできないを自覚できているか?」
2013.4.08(月)


まいどおおきになベリーグッドイブニング☆(夜中だぁ!)


こんな夜中にふとメルマガを書きたくなって書いています。


日付で言うともう昨日4月8日は、ある大俳優の誕生日でした!

このメルマガを読んでくださってる方の中には、私があの名作ドラマ「太陽にほえろ!」フリークだというのをご存じの方もいると思います☆(知らなかった方はこれを皮きりに知ってくださいませ☆)


「太陽にほえろ!」と言ったらそう、1972年から1986年まで14年も放送されてた刑事ドラマの代表格です☆


有名な所では、作中登場刑事が職務の中で死ぬ“殉職”があると思います!


特に、今は亡き松田優作さんの演ずるジーパン刑事の


「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!!」



なんかはご存じの方も多いと思います!(しかも、このセリフは松田優作さんのアドリブだった!)


その太陽にほえろ!とどう関係があるかと言うと、この太陽にほえろ!で第1話から691話までずっとレギュラー出演してた方がいました!


ご存じの方はご存じだと思いますが、作中では“山村刑事”を演じてた俳優の露口茂さんです。


この方は今はどうやら故郷の愛媛県松山市に帰ってのんびり人生を歩んでるみたいです。


その露口茂さんが誕生日だったのをふと昨日思い出して物思いに耽ってました。


この露口茂さんの演じてた山村刑事こと山さんは密かに私の影の父親と思える方です☆


その山さんを何で20歳の時に知って、あれから13年も慕えるのか?を色々と考えてました。


名場面は色々ありますが、今回は一つを紹介!


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証拠不十分で釈放された犯人・坂田。そんな犯人をなんとしても逮捕したいとマークし続ける山村刑事。
同棲していた女性に逃げられた坂田。家具も何も無くなったその部屋での会話。

坂田「いつまで俺にかまうんだ?そんなに俺をぶちこみてえのか?そんなに俺が憎いのかよ?」

山村「あぁ、憎いとも!俺はな、罪を憎んで人を憎まずと悟れる程立派な人間じゃない!俺は犯人が憎い!人を殺し、傷つけ、騙す奴が俺は憎いんだ!」


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この言葉には今でも痺れますわ!

山さんは先も話した通り、私の尊敬に値する方ですが、この言葉は深いと思います。


私がこれまで巡り合ってきた人の中に

「私はちょっとやそっとの事で、相手を嫌ったりしない!」
「その許せない人にも必ずいい所の一つや二つあるから、そこを注目すれば憎しみは消えるよ!」
「その心がすさんだ人も愛をもらわずに生きたからそんな風になっただけだら、そういう人に愛を降り注ぐのが大切だよ!」


といった事を言う人がいました。


でも、私の知る範疇では何故だこういう悟った様な事を得意げに言う人ほど、自分に損失になった瞬間に同一人物とは思えない位に、相手を責め立てる。


実際、私もそれに近いことや言い包められてきたことが多々ありました…。


だから、正直悟った様な事を得意げに言う人ほど言う人を私は疑って掛かる面があります!


それだったら、この山さんの様に

「俺は罪を憎んで人を憎まずと悟れるほど立派な人間じゃない!だから、俺は犯人が憎い!」


と言える人の方が私は人間らしくて好感を持てます。


先に出した、痛ましい例は


「どんな悪い人でも、私は許せるし、憎まない」


と自分を分かってない者の言葉だと思います。


それなら、自分の事を分かっているのをストレートに話せる山さんのこの言葉の方が魂込ってて信用も出来ると思うのです。


念のため、私は憎しみ続けろとか憎しみは大切と言ってる訳ではありませんからそれは誤解なさらないでくださいね。
(昔は、私の話の本質を掴もうとしない人が多くてこういった事も言いませんでしたが)


最近、ある教え子に

「分かるってのは、“分ける”って字を書くでしょ?

前に“もう中学2年になるのに、中学1年でも知ってる事も知らないの?”とバカにされたって話したけど、その前の家庭教師ってのは何も分かっちゃいないね…。

分かるってのは、分かると分からないを区別、分けられるから“分かる”って言うんだから、これが分からないと認められるのは勇気あることだし、大切な事なんだよ!」

と話してました。


自分の今の限界を認める、分からない、出来ないを認めるのはとても大切な事だと思います。


出来ない、分からないを連呼して自分の可能性を狭くしているのは悲しいとは思います。

例として、

「その人物は相手を殴らない大らかさはすごいと思うけど、オレには出来ない☆」

と軽く笑いながら言うのは悲しいですし、この人はその人物を本当に尊敬しているのかさえ怪しく感じます。(うまく伝わったかな?)


でも、出来ない、分からないを正直に今の自分のレベルと認めるのは大切だと思います。


山さんの話なんかも又このメルマガに交えて色々と語りたいと思います☆


それでは、真夜中のちょっとした発見でした☆☆☆



今回のことの葉
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“分かる”


自分の出来る・出来ない、知っている・知らないは何か?


それを分けられるから“分かる”って言うんだよ


だから、出来ない、分からないは恥ずかしい事ではないんだ


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