歴史を感じられるとあるお話 | ~学びと遊びのコラボレーション~大魔道士的家庭教師logicの航海日誌

~学びと遊びのコラボレーション~大魔道士的家庭教師logicの航海日誌

茨城県在住のプロ家庭教師こと大魔道士的家庭教師・logicです☆「勉強というマイナスイメージがあるものをいかに面白くできるか?」というテーマプラス、人生を面白おかしく生きる知識、知恵を追及しています☆キーワードは“冒険”、“コラボレーション”!

読んでて、一つの歴史を感じれました。

学校の授業で習う歴史って用語を覚えさせるばかりで、ドラマ性がなさ過ぎる…。

歴史を学ぶ際、どんな事例でもいいからドラマ性をコラボしたら面白くなりますよ☆

以下、それを感じられたメルマガの抜粋☆

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 第1000号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                     2012年5月2日現在 参加者人数5317人
 「5/2 昨日の宮ぷー」      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


昨日はフェイスブックに私が「靴下人形を作るよ」と書いたことで、こんな靴下人形
があるよとメールと画像をいただいて、まねをして、家にあった使っていない靴下を
使って靴下のお猿さんを作っていました。この靴下のお猿さんには、ストーリーがあ
ることを私間前に聞いて知っていました。
・・・・・
1915年アメリカ。イリノイ州ロックフォード市のネルソン靴下会社が、労働者用の靴
下を生み出した。それは補強するため、かかとを赤い糸で編んだ労働者用もの。その
靴下は労働者に愛され使い続けられていた。

1929年10月29日木曜日(Black Thursday)、ニューヨーク株式市場の株価が暴落し、
そのことがきっかけとなって世界中に大恐慌の波が押し寄せた。特に被害がひどかっ
たアメリカでは、自殺者が続出し、何千万人の失業者を生み出した。大不況の泥沼の
中、労働者たちはあくせく働くが、日々の生活を送るのがやっとだった。もちろん子
供たちにおもちゃを買ってあげることもできず、不自由な生活を過ごしていた。

クリスマス前のある日、ひとりのおばあさんは孫にプレゼントを買う余裕もなく悩ん
でいた。窓の外を見つめたおばあさんの目に留まったものは……使い古された一足の
靴下。おばあさんは知恵を絞って、その靴下から素敵なプレゼントを作り上げた。そ
れは一匹のサルの人形。その人形はソックモンキーと呼ばれ、今なおみんなに愛され
作り続けられている。現在、ネルソン社はフォックス・リバー社と名を改め、ソック
モンキー用のレッド・ヒール・ソックスを発売している。ソックモンキーに関する書
籍も多く出版され、ヴィンテージ・ソックモンキーのコレクターも多い。
・・・・・

ソックモンキー協会のホームページ http://sockmonkey-kyoukai.jp/index.html
には下のようなページがありました。
・・・・・
ぼくらには、みんな、ママやパパがいる。「ぼくらにはみんな、ママやパパがいる。
兄弟もいる。君みたいにね。日本で生まれるソックモンキーのふるさとは、からだに
ハンディキャップのあるひとたちがあつまる場所(身体障害者通所授産施設)なん
だって。そこで、ひとつひとつ手づくりされる。何日もかけて、できあがる。ぼくら
は、生んでくれたママやパパを大好きだし、ほこりに思う。タグに書いてあるのがマ
マやパパの名前です。」
緑光苑 社会福祉法人サンフラワークラブ NPO法人タオ
・・・・・

そんな温かなお話を思いながら、ソックモンキーを作るのは楽しかったです。それか
ら、連休が終わったら、中間試験があるので、テスト問題を作ったりもしました。
連休中は朝から夜まで宮ぷーのところにいるわけですが、(そんなときの夜はいつも
よりは早いけど7時に帰ります。一日もいないのに、宮ぷーのところにいて、私は宮
ぷーが決してそんなことを言うわけではないけれど、宮ぷーはきっと毎日を過ごして
いるこの時間や、将来のことや、いろんなことに不安を持ちながら、でも、きっと毎
日を一生懸命に生きているんだろうなあと、ふと思ったりもします。昨日は私は途中
に病院を抜けて、映画のチケットを買いに行きました。そのときに、高倉健さんの新
しい映画「あなたへ」の広告でもあるのだと思うけれど、高倉健さんの文章が印刷さ
れておいてあったので、それを持って帰りました。そして、宮ぷーに読みました。そ
うしたら、宮ぷーがぽろぽろと泣きました。私も泣きました。なぜだか泣けました。
だからその文章を、起こしてみます。

・・・・
去年の桜を、私は重く沈んだ気持ちで見つめていました。
3月11日。あの日、いつもの理髪店を出た私は、次の約束の場所へ向けて車を走らせ
ていました。白金台に差しかかった時です。ガクンと大きな衝撃を感じた私は「パン
クか?」と思い、車を止めました。
 しかしそれは、戦後の日本が蓄積してきた経済や社会のシステムがパンクした瞬間
でした。おびただしい数の尊い命が失われ、ささやかな夢や希望が砕かれ、政府や大
企業への信頼が失墜してゆく惨状を目の当たりにする中で、私の胸によみがえったの
は、遠い少年時代につぶやいた言葉でした。
「日本が戦争に負けたらしいばい」

“震災と終戦”
1945年8月15日。疎開先の福岡県遠賀郡香月(当時)で学徒動員に駆り出されていた
私は中学2年生。水泳用の黒いフンドシ一丁で、近くの寺の池で泳いでいた時のこと
です。天皇陛下のお言葉があるらしいと聞き、仲間たちと急いで駆けつけた寺の本堂
では、雑音混じりのラジオが鳴っていました。それを囲むように座り込んだ大人たち
の中には、泣いている人もいました。
 「えー? 日本が降参したとな? 負けたんか、日本が…」
 それまで信じていたものが足元から崩れ、暗闇に突き落とされたような想い。終戦
の時に似た絶望と寂寥が、私の胸をおおっていたのです。
 2010年の秋にオファーを受けた「あなたへ」の出演。すでに具体的な動きが、始
まっていました。しかし、俳優に何ができるというのだろう? 自分の中に生まれた
問いかけが、暗雲のように体中に広がっていきました。

“絶対に負けない”
そんな弱りかけた気持ちに、ビシッとムチを入れてくれたものがあります。それは、
雑誌に掲載されていた一枚の写真でした。イタリアにお住まいの作家の塩野七生さん
が、現地の週刊誌に載っていたと紹介している写真でした。気仙沼の被災地のがれき
の中を歩く少年の写真を「あなたへ」の台本の裏表紙に貼りつけた (写真は共同)

 気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年は、避難所で支給されたものでしょうか?
袖丈の余るジャンパーにピンク色の長靴をはいています。両手には一本ずつ、焼酎の
大型プラスチックボトルを握っています。彼は、給水所で水をもらった帰りなので
す。その水を待っているのは幼い妹でしょうか? 年老いた祖父母なのでしょうか? 
私の目をくぎ付けにしたのは、うつむき加減の少年のキリリと結ばれた口元でした。
左足を一歩踏み出した少年は、全身で私に訴えかけてきます。「負けない。絶対に負
けない…」私は、その少年の写真をB5版のサイズにしてもらいました。映画の台本
の大きさです。「あなたへ」の台本の裏表紙にその写真を貼りつけた時、胸の奥から
ほとばしった熱情。クランクインは、数日後に迫っていました。

“やはり不器用だから…”
 「不器用ですから」というのは、昔のコマーシャル用のせりふです。自分が不器用
なつもりはないのですが、何か事を成し遂げようと決めたとき、人智を超えた畏敬の
ものに頼りたくなるのは、やはり不器用だからでしょうか?
日本の映画史上類を見ない過酷な撮影といわれた「八甲田山」。それまで1日80本も
吸っていたタバコをきっぱりとやめた (中央が高倉健氏、(C)橋本プロ・東宝映
画・シナノ企画) 日本の映画史上類を見ない過酷な撮影といわれた1977年の「八甲
田山」では、3年間冬山に通いましたが、最初のロケは25日間でした。

 冬山に慣れているという現地の人が8人加わってくれましたが、彼らはたった一週
間で、橋本忍プロデューサーに辞退を申し入れたといいます。それくらい危険を伴う
無鉄砲な撮影だったのでしょう。この映画に入った年の初詣で、私はそれまで一日80
本も吸っていたタバコをきっぱりとやめました。
 それくらい自信がなかったのでしょう。自分が途中で「やめさせてください」と言
い出すんじゃないかという不安を断ち切るため、私は嗜好の楽しみと引き換えに何か
の力を求めたのだと思います

 1983年の「南極物語」のときは、コーヒーを断ちました。この作品の前作「海峡」
は、青函トンネルにかけた男たちの物語で、身も凍る寒いロケが続きました。次の作
品は、もっと寒い極地での撮影だと聞いて、冗談じゃないと断ったのですが、縁あっ
た女性の死へのやり切れない想いが、日本を離れ極寒の地へと向かわせたのでしょう
か、ふと気づけば私は、何も見えないブリザードの中に立っていました。好きなコー
ヒーをやめたご褒美は、命の危険と隣り合わせの限界の地から生還できたという余り
あるものでした。

自分には、芸がないのだと思います。もっとうまい映画との関わり方や演じ方もある
のでしょう。そうした俳優になれない私には、勢いで一年に15本も撮った東映の任侠
映画時代は別として、己の魂を揺さぶり、叱咤(しった)し勇気づけてくれるものが
必要だったのです。芸がないことを、恥とは思っていません。むしろ、芸がないとこ
ろで飯を食ってきたことは、自分自身のひそかな矜持(きょうじ)になっています。
今回も、この写真の少年のおかげで「あなたへ」の75日間、総移動距離9050キロを走
り続けることができました。 坊や、ありがとう!
・・・・
宮ぷーの涙の理由はなんでしょう。健さんのような方でも、弱い自分を多くの方に見
せ、そして、懸命に生きて、作品に取り組んでおられることに、私は心が揺さぶられ
ました。人はみんな、本当に死ぬまで一生懸命に生きるんだ。なんだかそんなことを
しみじみ思ったりもしたのでした。

サンフランシスコのまこちゃんからです。
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以下が 前にお知らせしたチャンネルですが、
春の特別番組「1/4の奇跡」テレビ放送@北カリフォルニア、 
5月5日 夜9時から。 KTSF26.2チャンネル
コムキャスト 8チャンネルでも放送が観られることが分かりましたので、お知らせ
します。
それから、さっきから2回 数分の「1/4の奇跡」予告が放送されました!!!! 
やったぁ~~~
・・・・・
わーい。ドキドキしてきました。サンフランシスコで流れます。お友達の方にお伝え
願います。5月5日のフジテレビです。

かつこ

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