要約:
こんぺい糖のとんがりのように、意識は現実世界に染み出す。
本文:
「我思う、故に我在り」とはデカルトの言葉だが、
自分に「意識がない」と思う人はいないだろう。
だが先にも述べた通り、自分の周りの人たちにも意識があるかどうかは、
証明することができない。
しかし我々は「周りの人たちも意識があるかのように振舞う」という経験から、
周囲の人たちに意識があるかどうかを疑おうとはしない。
人間に限って論じれば、胎児として生命を受けてから、「物心つく」過程において、
この現実世界には存在しなかった “意識” というものが、“意識界” ともいうべき領域から
まるでこんぺい糖のとんがりのように現実世界に染み出してくることにより、
はっきりとした “意識” として形成されるものと想定される。
注意されたいのは、ここで “意識界” と呼んでいるものが、スピリチュアルな意味における
“魂のふるさと” すなわち「あの世」や、我々の意識の深層が一つにつながっているという
「ワンネス」の存在あるいは「輪廻転生」を正当化しようとする試みではないことである。
意識というものがどういうものか完全には科学することができない都合上、
“意識界” もまた、どういう仕組みのものであるかは、想像に任せるには至らないと
考えるものである。
次項では、意識と宇宙の関係について独自の考察を展開したい。
要約:
“意識” はこの宇宙の外にある。
本文:
“意識” は、どこにあるのだろうか?
医学的には「脳にある」、ということで異論はなかろうと思うが、
神経細胞間の化学物質の伝達や、神経細胞内の電気信号の伝達の仕組みがどれだけ解明されようとも、“意識” がどこにあるのかは、解明されることがないだろう。
というのも、“意識” というものが脳の特定の部位に顕在するものではなく、
脳全体に雲のような広がりを持たなければ存在できないと思われるからである。
だが果たして、意識がどのように脳の中に存在しているのか解明されたとして、
それが “意識” の存在証明になるだろうか?
“意識” の存在そのものの証明は、“意識” そのものによってしか成すことができない。
すなわち、外部からいくら厳密な「意識の存在チェック」を行う項目を整えたとしても、
それを擬態する人工知能ロボットを開発することは、決して不可 能ではないということだ。
これらのことから、私は “意識” というものを議論するに当たり、
「意識は物理的に解明されるものではなく、この “宇宙” というものの外にその探求の場を求めなければならない」ものと考える。
*注: これからの議論の展開は、できる限り証明不可能な “スピリチュアル” な方向へ向いていくことのないようにしたいと思っているので、ご心配される向きには安心されたい。
“意識” はこの宇宙の外にある。
本文:
“意識” は、どこにあるのだろうか?
医学的には「脳にある」、ということで異論はなかろうと思うが、
神経細胞間の化学物質の伝達や、神経細胞内の電気信号の伝達の仕組みがどれだけ解明されようとも、“意識” がどこにあるのかは、解明されることがないだろう。
というのも、“意識” というものが脳の特定の部位に顕在するものではなく、
脳全体に雲のような広がりを持たなければ存在できないと思われるからである。
だが果たして、意識がどのように脳の中に存在しているのか解明されたとして、
それが “意識” の存在証明になるだろうか?
“意識” の存在そのものの証明は、“意識” そのものによってしか成すことができない。
すなわち、外部からいくら厳密な「意識の存在チェック」を行う項目を整えたとしても、
それを擬態する人工知能ロボットを開発することは、決して不可 能ではないということだ。
これらのことから、私は “意識” というものを議論するに当たり、
「意識は物理的に解明されるものではなく、この “宇宙” というものの外にその探求の場を求めなければならない」ものと考える。
*注: これからの議論の展開は、できる限り証明不可能な “スピリチュアル” な方向へ向いていくことのないようにしたいと思っているので、ご心配される向きには安心されたい。