想いの道 ~会長の独り言~ -232ページ目

『鈴木神社を尋ねて』

 時の過ぎ行くのは誠に早いもので、あっという間にゴールデンウイークが過ぎ去り、もうじっとりと汗ばむような季節がやってきました。

 今回皆さんにお伝えすることは、そのゴールデンウィーク中に体験した事をご披露致します。

 先月号に物事の評価の段階について述べ ましたが、覚えていらっしゃいますか?『凄い!』とか『マイッタ!!』とかです。最上級の評価は何でしたでしょうか?…・・そうです。『ム・・!!!』と声が出ない状態。『絶句!』でしたね。私達がI.S.Oのお手伝いをさせて頂いている熊本の「有田」でスタッフの皆さんにそのことをお話致しました。その翌日、天草の『鈴木神社』と言う所にお参りに行きました。

 この神社は天草を救った代官『鈴木重成公』とその兄『鈴木正三公』及び養子『鈴木重辰公』の3人をお祭りしてあります。天草の中心本渡市の小高い丘の上にあります。そこに行って神主さんに由来を お聞きするまでは『鈴木神社』の『ス』の字も知らなかったのです。天草についての知識はあの『天草四郎』の事くらい。ところが  『鈴木さま』は当地では『四郎』以上に慕われ敬われている人なのです。『天草、島原の乱』と言えば徳川幕府のキリシタン弾圧に対する民衆の一揆です。鎮圧後幕府は天草を 直轄の『天領』にし、代官を派遣しました。 その初代代官が『鈴木重成公』です。一揆で荒れ果てた天草の地と人々の心を立てなおすことに命をかけたのです。兄の『正三公』、養子の『重辰公』の3人で23年の歳月をかけて天草の復興に尽くしました。その3人をお祭りしてあるのが『鈴木神社』なのです。若葉が萌え、野鳥の囁きが耳に心地よい穏やかな日和でした。

 神殿にお邪魔して神主さんにお話を伺いました。数年前に神社の大祭が行われその席に時の熊本県知事の『福島さん』もお参りに来られたそうです。知事が挨拶されたのですが『重成公』の命を賭けた(文字どうり、幕府に嘆願し聞き入られなかったので切腹して訴えたのです)使命感を口にされた途端『ム・・……』と絶句されてしまわれたそうです。国会議員を永年務めそして郷土熊本の為に粉骨細心の努力を傾けておられ口八丁手八丁の知事が絶句なさったのです。『重成公』と比べて自分の取組み姿勢に思いを致されての事でしょう。その数ヶ月後に知事も帰らぬ人となられたわけです。

 私が皆さんに『ム・……』の事をお話し、次いで『有田』の皆さんにもお話したその翌日に、天草という縁もゆかりもない(?)ところで、神主さんから『ム・……』のお話が出るとは!先ほど『縁』も『ゆかり』もないと言いましたが、実は深い『ご縁』で結ばれているのではないでしょうか?もう一度ユックリお尋ねしてお話を伺いたいと願っています。