『身体感覚を取り戻す』
「腰が据わっている」「ハラができている」「顔が広い」「地に足がついている」といった身体の一部を用いた表現が日本語にはたくさんあります。若い人にはこれらの意味どころか表現そのものにも馴染みがないか、耳にしたこともないかもしれません。
80代でも背筋がシャンと伸びているカラダもあれば、電車のなかで通路にしゃがみこむいわゆるジベタリアンと称される10代のカラダもあります。カラダには勿論個人差があります。しかし、トータルな傾向として、足腰が弱くなり、カラダの中心軸が失われてきつつあることは明らかでしょう。
わが国の伝統的な身体文化を一言で表現するならば、『腰ハラ文化』ということになるのではないでしょうか。冒頭にあげた「腰を据える」「ハラを決める」などは80代以上の人には基本的な言葉でしょう。ここでいう腰やハラは、精神的なことも含んではいるが、その基盤には腰やハラの身体感覚が実際にあります。「腰を据える」や「ハラを決める」は、人間ならば生まれつき誰でもがもっているという感覚ではなく、伝統的な生活スタイルや文化によって身につけられる身体感覚です。腰とハラの身体感覚が、数多い身体感覚の中でもとりわけ強調されることによって、カラダの〈中心感覚〉が明確になるのです。
伝統的な芸術である、歌舞伎にしろ、能、狂言にしても演ずる人の美しさは〈中心感覚〉が鮮明に見事に表現されているからこそ、観客の心をうつのです。海外公演で言葉や日本の伝統的な文化を理解できない人々から拍手喝さいを浴びるのも腰、ハラの据わった〈中心感覚〉の見事さによるものです。
しかし、今この伝統的な〈中心感覚〉は急速に失われています。「腰抜」「へっぴり腰」「腰砕け」「および腰」「にげ腰」「弱腰」「ハラが決まらない」「腑抜け」など、カラダに中心感覚ができていないことを批判する厳しい言葉です。
先日、横綱武蔵丸の久しぶりの優勝で幕を閉じた大相撲九州場所でも、地元の期待の星大関魁皇が腰痛に悩まされやっとカド番をまぬがれたのは皆さんの記憶に新しいことでしょう。彼の場合は肉体上の問題ですが、これほど腰ハラというのは大事なものです。
メジャーでMVP、新人王のダブルタイトルをとって大活躍のイチロー選手のパフォーマンスも腰ハラの据わった見事な〈中心感覚〉の具現が、他のメジャーリーガーより数段も高いレベルにあったことのあらわれでしょう。
では、この失われつつあるというより、若い人の間ではほとんど見かけなくなった〈中心感覚〉をどのように取り戻せばいいのでしょうか。それは「立つ、歩く、座る」という人間としての基本動作を、日常の生活の中にシッカリと取り入れることでしょう。生活のスタイルが大きく欧米化し「立つ、歩く、座る」ことが我々の生活の中から急速になくなってしまったことを見直しすることです。車での移動で、歩くことが激減し、椅子に腰掛ける(座るとはいわない)生活になじんでしまった我々の生活を振り返ることです。 このことを、これからの時代をになってゆく子供達にシッカリ伝えてゆくことです。伝統とは親から子へ、子から孫へと伝えつないでゆくものです。私たちは、先祖の古き良き伝統を戦後の50余年のあいだに、あまりに容易に捨てすぎました。このことを見なおすラストチャンスが今なのかもしれません。