こんにちは、ジロです。
今回は、かつて朝鮮時代の流配の地であった
全羅南道・康津(カンジン)を舞台にした物語をお届けします。
朝鮮時代を代表する実学者、
茶山・丁若鏞(チョン・ヤギョン)は、
この康津へ流配されました。
しかし彼は、その厳しい環境の中で、
数多くの改革思想書を生み出していきます。
流配の地で育まれた思索とは、
いったいどのようなものだったのでしょうか。
それでは、さっそく見ていきましょう。
なぜ、康津は流配の地となったのでしょうか。
康津は、都・漢陽から遠く離れ、
山と海に囲まれた地形をもつことから、
朝鮮時代を代表する流配地の一つでした。
朝鮮後期、
政治情勢が大きく揺れ動くなかで、
権力争いに敗れた人々、
政治の中心から退いた人々が、
この康津へと送られていったのです。
孤立の時間
流配は、
人とのつながりを断ち切られる時間でもありました。
家族と引き離され、
政治の舞台から完全に遠ざけられる――
それは、深い孤独を伴うものでした。
茶山・丁若鏞もまた、
1801年の辛酉迫害をきっかけに康津へ流配され、
実に18年もの歳月を、
この地で過ごすことになります。
流配地での思索
しかし茶山は、
康津での歳月を
ただ沈黙の中で耐え忍ることはありませんでした。
官職も、
政治の場で語る力も失ったその時間を、
彼は考えることと書き記すことによって、
静かに、しかし確かに積み重ねていったのです。
『牧民心書』が生まれた場所
康津で茶山は、
自然の移ろいを見つめ、
そこで生きる人々の暮らしに耳を傾け、
一つひとつを書き留めていきました。
その静かな積み重ねこそが、
彼の思想を深め、
やがて大きな構想へと育っていく
確かな土壌となったのです。
こうして康津の地で、
『牧民心書』や『経世遺表』をはじめとする、
数多くの改革思想書が生み出されました。
思索が完成する場所
茶山の思想は、
朝鮮後期という時代を越え、
今なお、多くの人々に読み継がれています。
康津での孤立は、
決して空白の時間ではありませんでした。
それは、
世界と距離を置きながら、
思考を深く、静かに掘り下げていくための時間だったのです。
康津郡のいま
康津には、
丁若鏞が流配生活を送った
茶山草堂や白蓮寺をはじめとする、
ゆかりの史跡が今も大切に残されています。
この地を訪れる人々は、
茶山がかつて歩いた道をなぞるように、
自然の中をゆっくりと歩きながら、
それぞれの思索の時間を重ねていきます。
思索の時間がほしくなったら
忙しい毎日の中で、
ふと立ち止まり、
頭と心を整える時間がほしくなったとき。
そんなときは、
康津で、
ゆっくりと歩きながら思索する時間を
過ごしてみてはいかがでしょうか。
写真提供:康津郡庁 公式ホームページ(公共ヌリ・データ)
今回は、流配生活の中で改革書を著した
茶山・丁若鏞のエピソードとともに、
全羅南道・康津郡をご紹介しました。
いかがでしたか?
自然を感じながら、ゆっくりと思索したくなったら、
ぜひ 康津郡を訪れてみてくださいね。
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