25日のお昼には、
玖珠町のカウベルランドにいくであろうと見られています。

昨年のパターンから考えると、
前後に、九重夢大吊り橋と高塚地蔵にいくのかなと考えられます。

昨年から、
ついに、日出生台の地元の街にまで外出をしてくるようになりました。

米軍が求めているのは、
日出生台での
まったく制限のない自由な訓練であり、
まったく制限のない自由な外出なのでしょう。

彼らは年々着々とそれに向けて既成事実を積み重ねています。

2月24日、朝7時半、
日出生台演習場のゲートを
一台の亀の井バスと米兵が運転するVR車、
長崎ナンバーのレンタカーが出て行った。


湯布院インターから大分自動車道に乗り、
それらの車両が着いたのは、
福岡のキャナルシティだった。


9時40分ぐらいに到着した彼らは、
バスのドアが開くとすぐにそのまま
三々五々、街へと消えていった。

散り散りに分かれて街へ出てしまったので、
それぞれがどこにいってしまったのかはわからず。


お昼を、ラーメンスタジアムで食べることにしたら、
そこにも10数人程度の米兵らがすでにいた。





この、演習終了後に毎回行われている
米兵の集団外出。

これまでの米軍指揮官は
「展開から撤収まで、外出も含めて全てが訓練であり公務」
説明している。

したがって、外出についても、
防衛局職員が数十人規模で同行し、彼らの外出のお世話をする。
これらの費用の支出も、私たちの血税からだ。

さて、こうして行われてきた米兵の集団外出は、
その都度、いろんなトラブルが起きている。

過去のトラブル(中段ぐらいにその記述)

実際、彼らの訓練は、訓練とはいっても、
米軍という軍隊は、世界で最も実戦に関わってきた部隊。
彼らは、数年のうちには、戦場に派遣され、
相手を殺さなければ自分が殺されるという極限状況に
置かれる可能性も高い。

もし、ちゅうちょなく敵を殺傷することができなければ、
それは彼ら自身の死を意味する。

そうした極限状況にいつでも対応できる訓練を
氷点下10度にもなる極寒の日出生台で行ったあとに、
飲酒も含めて自由に許し、深夜まで自由外出をさせれば、
たまっていたストレスが吹き出し、
上記のリンクに記載したようなトラブルが起きるのは
ある意味では当然と言える。

しかし、その影響を受けるのは、
他ならぬ、私たち、大分県民、福岡県民、長崎県民なのだ。

このところ、
私たちが監視をしっかりとおこなっていることが
功を奏しているのかどうかはわからないが、
この飲酒を伴っての深夜までの自由外出はおこなわれなくなった。

防衛局も、さすがにそのまま放っておけば大変なことがおきかねないと
考えたのだと思う。

しかし、回を重ねるにつれ、
慣れと規律の緩みが出てくれば、
やはり同じ問題が懸念されてくる。

日出生台で(これまで外出先となった大分県、長崎県、福岡県で)
トラブルを起こさせないためにも、
外出についてもしっかりと監視をし、
彼らが約束した「最高度の規律」を遵守してもらわねばならない。

そして、住民の厳しい目がそこにあるんだと
彼らに意識をさせることがやはり、
不測の事態を防ぐために重要だと思う。


この日、米兵を乗せたバスは
福岡を19時に出発。

21時、日出生台演習場に帰着した。



大分県湯布院町の北部にある、日出生台(ひじゅうだい)演習場。
99年から開始され、5年に1度休みの年を挟みながら、
基本的に毎年おこなわれている米海兵隊の実弾砲撃訓練。

これまでのデータを統計として整理してみました。

<総砲撃数>
1回目(99年):448発 (うち夜間116発)
2回目(00年):477発 (うち夜間121発)
3回目(01年):343発 (うち夜間 24発)
4回目(02年):343発 (うち夜間 69発)
5回目(04年):333発 (うち夜間 38発)
6回目(06年):570発 (うち夜間 54発)
7回目(10年):607発 (うち夜間 70発)
8回目(11年):490発 (うち夜間122発)
9回目(12年):693発 (うち夜間176発)

<実弾演習に使用された武器>  (*は確認された特殊砲弾)
1回目 155ミリりゅう弾砲
2回目 155ミリりゅう弾砲
3回目 155ミリりゅう弾砲
4回目 155ミリりゅう弾砲
5回目 155ミリりゅう弾砲
6回目 155ミリりゅう弾砲
7回目 155ミリりゅう弾砲、小火器(小銃、機関銃)*白リン弾、照明弾
8回目 155ミリりゅう弾砲、小火器(小銃、機関銃)
9回目 155ミリりゅう弾砲、小火器(小銃、機関銃)*着弾後、火球が飛び出す砲弾



<これまでの日出生台米軍演習 記録 累計 統計>

◎日出生台での米軍演習 期間中の総砲撃数の過去最多は 693発(2012年 10日間)

◎1日あたりの最多砲撃 2010年2月8日(7回目の訓練)  172発

◎1時間あたりの日中の最多砲撃 2006年1月31日の11時から1時間で56発

◎1時間あたりの夜間の最多砲撃 2012年2月19日 18時からの1時間で43発

◎日中の昼間の合計での最多砲撃 2010年2月8日 135発

◎夜間の合計での最多砲撃 2010年2月7日 54発

◎日出生台の8回目までの総砲撃数  4304発



2月21日、午後2時、
日出生台演習場のゲート前にて、
日出生台の米軍指揮官に対する
以下の抗議文を防衛局を通じて、
提出しました。


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リカルド・ミアガニー中佐殿






    私たち住民の願いを踏みにじって強行された


  日出生台での9回目の米海兵隊による実弾射撃訓練に


         満身の怒りを込めて抗議し、


   米兵の集団外出、押しかけボランティアは中止し、


         即時撤収するよう求める



 2月10日から10日間にわたって、私たちの故郷、大分の日出生台演習場で行われた貴、
米海兵隊の実弾射撃訓練は、総砲撃数693発、夜間の砲撃数176発、夜間砲撃日数7日間、
夜間の一時間あたり砲撃数43発と、そのすべてにおいて過去最多を更新。これまでで、
もっとも激烈な実弾砲撃演習を強行したことに、満身の怒りを込めて、ここに抗議する。


 今年の訓練では、夜間砲撃の着弾音、衝撃、振動が例年より格段に大きく、
日出生台から約30キロ離れた別府市でも30件の問い合わせが寄せられた。
地元から再三、自粛要請がなされてきた夜間に、それを逆なでするかのように、
激しい砲撃を強行したことは、住民に対する配慮よりも、自らの米軍訓練を
最優先しているといわざるをえない。


 訓練初日2月10日の深夜には、完全武装し、機関銃を持った米兵と車列が
公道へ出てくるという前代未聞の事件も起きた。県道にまで訓練の範囲を拡大
しようとする貴殿らの暴挙を私たちは絶対に許すことができない。「道を誤った」
という説明が事実であるとするなら、訓練中の部隊としては恥ずべき、致命的ミスで
あろうし、今まで一度も起きなかったそのようなミスが9回目にして起きたとするなら、
貴殿らの部隊の規律が緩んでいる証明であるといわざるをえない。


 そのような、規律の緩んだ部隊が、この後、例年のように、県内の福祉施設へ
押しかけて「ボランティア」や、集団外出として町へ出てくることは到底許されない。
集団外出、ボランティアは中止し、荷物をまとめて、日出生台から即時撤収するよう求める。




 最後に、私たちは、今後も、沖縄や本土の米軍基地や演習に苦しむ地域の人々と
連帯して、このような「痛み」そのものをなくし、どんな地域の住民をも犠牲に
することのない、本当に安心して暮らせる安全保障の実現を目指して、今後も運動を
よりいっそう強めていく。それは、とりもなおさず、日本とアメリカの間での真の
「ともだち」関係を築くためでもある。その大きな障害となっている在日米軍基地、
演習を撤去するために、今後も、私たちは、各地の住民らが知恵と力を合わせて
取り組んでいくことをお伝えしておく。





                               2012年2月20日


                         ローカルネット大分・日出生台



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大分合同新聞2月20日朝刊



2012年、日出生台で行われた、
日出生台では9回目となる米海兵隊による実弾砲撃演習。

総砲撃数、夜間砲撃数、夜間砲撃日数、
夜間の一時間あたり砲撃数、
そのすべてにおいて、
過去最多、最長を更新!

そして、前代未聞の
完全武装状態の米兵と部隊車列が
演習場の周囲を走る公道に
そのまま出てきた事件。




さらに、もうひとつ、
米軍は、今回、
また、
新たな種類の砲弾を
使用したようだ



この砲弾は、一見通常弾のように着弾し、
その後、火球がそこから飛び出し、
地面に落ちた後、一分間ほど煙を出しながら燃えつづけた。








一種の発煙弾?

煙を出すのであれば、白リン(あるいは黄リン)を使用している砲弾ではないかと(素人ながら)考えるのだが…。

この砲弾は、着弾音に続いてポンとやや小さな音がするので、
それとわかる。
おそらく、100発~200発の間で
この砲弾が使われたものと見られる。

ちなみに、公開訓練の際、「白リン弾は使うのか?」との質問に
米軍指揮官は「今回は持ってきていない」。
そばにいた自衛隊の司令も、すかさず「今回はないことを確認しています」
と念押し。

二年前の白リン弾は、空中で炸裂し、飛び散り、
地面に落ちて煙を出しながら燃え続けるというものだった。


この上記、二年前の訓練を総括する大分合同新聞の記事。

写っている写真の水色の砲弾が白リン弾。
砲弾には「M825」と書かれている。

着弾の仕方がまったくちがうので、
おそらく砲弾の種類、番号も違うだろう。

この「M825」という砲弾はなかったという意味で、
先の米軍と自衛隊司令の発言となったのか。

なにしろ、砲撃数が拡大しているだけではなく、
またまた、使用する砲弾の種類も多様化、
拡大してきていることは間違いない!

この米軍演習が始まった当初の演習とは
まったく違う訓練が、
米軍のやりたい放題で繰り広げられている。













最終日はいつもあっさり終わるので、
今日も昼ぐらいに終わるかと思っていたら、
夜間まで撃ちまくって、
終了のサイレンが鳴ったのは19時35分。


最終日を夜間まで撃ったのは、日出生台では今回が初めて。

今日一日で148発を米軍は撃ちまくった。
10日間の合計砲撃数は693発に達し、
日出生台での過去最多の砲撃数を更新した。

10日間での夜間砲撃の総数は176発。
これも夜間として過去最多を記録した前回の122発から一気に増加。

夜間の日数も7日間となり、これまた過去最多の夜間日数。

今日の夕方6時からの1時間には43発を撃つという
1時間あたりの砲撃としてももっとも激しい砲撃が行われた。

そして、
今日の夕方、米軍はまた新たな砲弾を使用していたことが明らかになった。
通常の砲弾は、発射音の後、着弾音がして終わりなのだが、
この砲弾はさらに着弾の後に、小さな赤い一つの火の玉が飛び跳ね、
地面に落ちた後も、白い煙をモクモクと出しながら燃え続けるというもの。

監視小屋からは確認が難しかったのだが、
山の上に上がって着弾値を確認してみて、
そんな弾を使っていたことが分かった。

着弾音の後に、さらにすこし小さな音でポーンという音がしていて、
いったい何だろうという声が2日ぐらい前から出ていたのだが、
この弾だったらしい。

ビデオに撮ったのであとでここにアップします。

今回も
過去最多の激しい砲撃、新しい砲弾、
そして初日の深夜に起きた、武装した米兵と車列が県道へ出てくる事件など、
様々なことが起きた。

今回の訓練では、初めて、小火器を撃った日、155ミリりゅう弾砲を撃たなかったのだが、結局、「小火器が加わることでりゅう弾砲の弾数が減る」ということはまったくないことがまたまた証明されることとなった。

米軍は、沖縄のように、日出生台でも、
制限のない自由な訓練、自由な外出の実現を求めているのだろう。

やはり、ノーと声を上げ続けなければ、
訓練は恒常化し、やがて、米軍の常駐、基地化ということがおき、
いつか、沖縄で繰り返されてきたような悲劇がここでもおきかねない。

そうなってから、ノーと言っても、
もう事態は元に戻らないだろう。

僕らのような、小さな力しかない市民がこのような流れを
止めていこうとするなら、
それがまだ大きくならないうちに、
問題の芽を摘み取っていくしかない。

どんな変化も見逃さず、
どんな小さな拡大も許さない。

地道であっても、そんな小さな取り組みが、
故郷、大分での僕らの暮らしの
安心と安全を守ることにつながっているはず。

10日間の監視行動、みなさん、お疲れ様でした。
いろんな方が入れ替わり、立ち替わり、交代で入ってくれて、
この活動も維持されています。

本当に皆さんに感謝です。

今日はゆっくりと休みましょう。







朝からヘリが飛び、赤い旗が揚がり、最終日が始まったようだ。
一発でも撃てば、一応、今日で実弾を撃つ訓練は終わり。

一説によれば、700発近くもってきているのではないかという話も聞こえてきたが、
はたして今日の演習はどうなるか。



2月3日付け大分合同新聞によると、
沖縄での砲撃実績は移転前の数年は3000発程度だったという。


しかし、本土への分散移転後、2010 年度は初めて5000発を越え、
2011年度は、東富士、北富士の2ヶ所だけですでに5203発撃っているという。

そして、日出生台では、9日目までに
すでに545発を撃っている。

今年はそんなに多くないな…なんて思いながら見ていたら、
いつのまにか545発。

7回目の607発、6回目の570発についで、
日出生台では過去3番目に多い砲撃数にまで達した。

(この数字は監視小屋のカウント。上記の表に見る防衛局発表の数字はこの監視小屋のカウントよりもずいぶん多くなっている。防衛局自身はカウントしてないので、米軍、あるいは自衛隊からの情報で数字を出したと思われるが、おそらく現場で実際に撃った砲撃数は、多少の誤差はあっても、私たちの監視小屋の数字の方がより、実際に近いのではないかと思う)

本土移転の合計数で言えば、
5700発を越えたことになる。

ほとんど沖縄での2倍を本土で撃っていることになる。

「沖縄と同質同量」といいながら、
質、量ともに沖縄を上回る演習が本土では繰り返され、
それは年々拡大傾向にある。

明日は実弾砲撃の最終日。




夜間はなんと1発のみ。
どうも雪にはまってしまって、次の移動ができなくなってしまったようにも見えた。
なにしろ、今回は道を間違えるようなドジな部隊だからな…^^;


19時25分にサイレンが鳴って、車列が帰り始めたのだが、
これまた先頭車両が脱輪したか、雪にはまってしまったようで、
まったく前に進まなくなってしまった。

なにをやってんのやら…。

ま、とにかく、
これで9日目を終了した。

明日、撃てば、明日で10日間の実弾砲撃は終了となる。



でも、実は、実弾砲撃演習が終わっても、彼らの訓練はまだ終わりじゃない。

「展開から撤収まで、外出も含めてすべてが訓練であり、公務」
とかつての米軍指揮官は説明した。

彼らの外出は、仕事を離れたオフとしてではなく、
公務として、日本の国民の税金で、防衛局職員らが手厚くお世話をして行われる。

自分たちの税金がいったいどう使われているのか。

簡単に増税なんかに走る前に、

僕らの血税が、

ちゃんと国民、県民のために使われているのかどうか、

やっぱり納税者である僕らが自分でしっかり確認しなきゃね。