最終日はいつもあっさり終わるので、
今日も昼ぐらいに終わるかと思っていたら、
夜間まで撃ちまくって、
終了のサイレンが鳴ったのは19時35分。


最終日を夜間まで撃ったのは、日出生台では今回が初めて。

今日一日で148発を米軍は撃ちまくった。
10日間の合計砲撃数は693発に達し、
日出生台での過去最多の砲撃数を更新した。

10日間での夜間砲撃の総数は176発。
これも夜間として過去最多を記録した前回の122発から一気に増加。

夜間の日数も7日間となり、これまた過去最多の夜間日数。

今日の夕方6時からの1時間には43発を撃つという
1時間あたりの砲撃としてももっとも激しい砲撃が行われた。

そして、
今日の夕方、米軍はまた新たな砲弾を使用していたことが明らかになった。
通常の砲弾は、発射音の後、着弾音がして終わりなのだが、
この砲弾はさらに着弾の後に、小さな赤い一つの火の玉が飛び跳ね、
地面に落ちた後も、白い煙をモクモクと出しながら燃え続けるというもの。

監視小屋からは確認が難しかったのだが、
山の上に上がって着弾値を確認してみて、
そんな弾を使っていたことが分かった。

着弾音の後に、さらにすこし小さな音でポーンという音がしていて、
いったい何だろうという声が2日ぐらい前から出ていたのだが、
この弾だったらしい。

ビデオに撮ったのであとでここにアップします。

今回も
過去最多の激しい砲撃、新しい砲弾、
そして初日の深夜に起きた、武装した米兵と車列が県道へ出てくる事件など、
様々なことが起きた。

今回の訓練では、初めて、小火器を撃った日、155ミリりゅう弾砲を撃たなかったのだが、結局、「小火器が加わることでりゅう弾砲の弾数が減る」ということはまったくないことがまたまた証明されることとなった。

米軍は、沖縄のように、日出生台でも、
制限のない自由な訓練、自由な外出の実現を求めているのだろう。

やはり、ノーと声を上げ続けなければ、
訓練は恒常化し、やがて、米軍の常駐、基地化ということがおき、
いつか、沖縄で繰り返されてきたような悲劇がここでもおきかねない。

そうなってから、ノーと言っても、
もう事態は元に戻らないだろう。

僕らのような、小さな力しかない市民がこのような流れを
止めていこうとするなら、
それがまだ大きくならないうちに、
問題の芽を摘み取っていくしかない。

どんな変化も見逃さず、
どんな小さな拡大も許さない。

地道であっても、そんな小さな取り組みが、
故郷、大分での僕らの暮らしの
安心と安全を守ることにつながっているはず。

10日間の監視行動、みなさん、お疲れ様でした。
いろんな方が入れ替わり、立ち替わり、交代で入ってくれて、
この活動も維持されています。

本当に皆さんに感謝です。

今日はゆっくりと休みましょう。