竹生島のお話です。
こんにちは
元霊的過敏症です。霊能力があるスピ嫌いな旦那と二人で暮らしています。
前の記事を見ていただき、ありがとうございます
これからのイベント&活動お知らせ
- 9月25日(日)キフィオンライン講座(募集中)
- 10月2日(日)箱根神社バスツアー参加
- 10月6日(木)キフィオンライン講座(募集中)
- 10月22日(土)大國魂神社&前世療法(募集中)
- 10月27日(木)ご守護と繋がる生き方講座(募集中)
記事下に詳細・お申込みリンクあります↓
昨日の記事の続きです。
宝厳寺をあとにし、観音堂に向いました。
その前に願いだるまですね。
これ、おすすめです。
滅多にいかれない竹生島ですから、悔いを残さないようにしっかり押さえといたほうがいいと思います。
パンフレットから。
写りが悪いですね。
公式ページが一番詳しく、画像もばっちりのっています。
そして
観音堂に着きました。
わかりやすい島の地図はないかなーとさがしていたら、
パンフレットの地図です。
こんな感じで島をまわるのです。
観音堂は大坂城の極楽橋の遺構と言われています。
大阪城はどれだけ豪華だったのでしょうか。
千手観世音菩薩様がおまつりされています。
我々も手を合わせました。
参拝を終えたら、
舟廊下を通って、都久夫須麻神社に向います。
外は雨ですが、こちらは静かでした。
そして
都久夫須麻神社に参拝いたしました。
社殿は撮影禁止です。公式サイトからどうぞ。
こちらは浅井比売命をおまつりしています。
伝説が残っていて、
背比べをして負けた伊吹山の神が、勝った姪の浅井岳の神の首を斬り落として、
その首が竹生島になった、という。
なんなんじゃ、この伝説、ははは(;^ω^)
まあ何か争いがあったので、それが伝説になったのでしょう。
そして能の演目、「竹生島」にもなった、
神秘的な物語が言い伝えられています。
延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと、琵琶湖にやって来ます。
臣下は、湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し、湖に浮かぶ竹生島を目指します。
湖春のうららかな景色を眺めるうちに竹生島へ着き、老人は臣下を社に案内します。
連れの女も一緒に来たので、臣下は老人に、竹生島は女人禁制ではないのか、と問いかけます。するとふたりは、竹生島は女体の弁才天を祀り、女性をお隔てにならないと返し、島の由来を臣下に語り聞かせます。
その後女は、自分は人間ではないと明かして社の御殿に入り、老人は湖の主であると告げ、波間へ消えていきました。
臣下が社人に宝物を見せてもらい、時を過ごしていると、御殿が鳴動し、光輝く弁才天が現れます。
壮麗な天女の姿で、弁才天が夜の舞楽を奏するうちに、やがて月が湖上に澄み輝く頃を迎え、湖中より龍神が現れました。
龍神は金銀珠玉を臣下に捧げ、祝福の姿を表します。そして、ある時は天女となって衆生の願いをかなえ、ある時は下界の龍神となって国土を鎮めるのだ、と衆生済度の誓いを現した後、天女は社殿に入り、龍神は湖水の波を蹴立て、龍宮のなかへ飛び入りました。
醍醐天皇の家来が竹生島詣でにきたとき、
湖畔で老いた漁師と若い女にであいます。この二人は湖の主だったのですね。
そして弁財天があらわれ舞を舞うと、
湖から龍神が現れる。
この若い女性は浅井比売命の化身だったのかもしれませんね。
浅井比売命は浅井氏の氏神と言われています。
浅井氏をはじめ、織田信長、豊臣秀吉、尼子晴久、朝倉義景、田中吉政などのそうそうたる戦国武将が、
この竹生島を手厚く信仰したそうです。
確かに神の住む島としか思えない場所だと思います。
そしてこの後、琵琶湖にいる龍神様にお参りできる場所、
繋がれる場所に向います。
2022年夏の旅
いままでの記事はこちらです。
このあとも、まだ旅は続きます。
わたしたちの弥次喜多珍道中です。
・・・・・おすすめ記事・・・・・
☃このブログの登場人物☃