断捨離トレーナーのみなみちゃんです
【断捨離フォローアップセミナー その1】
サマンサ倶楽部
松江会場→出雲会場(個人宅にて女性限定)
①9/26
②10/17
③11/21
④12/12
全て火曜日の10:00~12:30です。
始まりました〜😄
断捨離ぼちぼち倶楽部のフォローアップ。
参加者さんの自宅を借りて、とってもコアな感じで始まりましたよ。
みんな断捨離を実践中だから、出会ってすぐに話が弾む♡
1講は、「これまでの思い込みに気づく」
マジあれもこれも思い込み?
なんだって〜〜〜〜
わお〜〜〜〜
再確認しました。
そして、みんなそれぞれにイメージがあるから
みんな違ってみんな良い・・・ってことを具体例を通して確認。
あはは・・・
愉し〜い
こちらは2015年のやましたひでこのYahoo!ニュースの記事
思い込みについて書いてあります。
是非ご参考に
思い込まされ、
思い込み、
思い込んだまま生きる
私の断捨離グループカウンセリングに参加してくださった、
ある50代半ばの女性。彼女は、自己紹介の時、
おずおずとこう切り出した。
「わたし、協調性に欠けているので、こうやってグループの中にいるのは苦手です。
皆さんと上手くやっていけるか不安です…」。
協調性の欠如。私は、この女性に尋ね返した。
「自分に協調性が欠けていると思う理由は何ですか」。
すると、彼女は答えた。小学校5年生の時の通信簿の注意欄に、
担任教師のコメントにそう書いてあったからと。
つまり、この50代半ばの女性は、担任教師の一言によって、
10歳の時から50代半ばに至る45年間ずっと、
自分は協調性のない人間だと思い込み、
対人関係に緊張と不安を覚えながら生きてきたことになる。
私に言わせれば、当時の担任教師の目に、小学生の女の子の行動や言動が、たまたま、協調性に欠けるように映っただけのことのように思えるのだけれど。
それにしても、この女性、成長していく過程にあって、そもそも協調性に欠けるとはどういうことなのかを考える機会をまったく持たなかったのだろうか。
担任教師の配慮に欠けるコメントにも憤りを覚えるけれど、
そのことの方がもっと残念でもある。
協調性って何?
どんなことが協調性のあることで、どんなことが協調性に欠けること?
協調性がよく機能する場面もあるし、協調性がかえってアダになる場面もないか?
まあ、おそらく、コメントを下した担任教師が、
そこまで考えていなかったとも言えますね。
専門課程にある女子学生が、私の講義の後、こんな相談をしてきた。
「わたし、元カレの写真を棄てたいのだけど、怖くて棄てられないのです。
棄てると祟られるような気がして。どうしたらいいでしょう。
友達は、元カレの写真をカッターで裂いて棄てているというのに」。
私は聞き返した。祟られると思う理由な何だろうかと。
すると、彼女はこう言った。
「目がついているものを破いて棄てるなんて、祟られるに決まっているじゃないですか」
当然のことながら、私は、
「祟られない捨て方」を彼女に伝授した訳もなく。
同じ、元カレの写真を棄てるという行為。
ある女子は、祟られる恐怖を覚えためらい、ある女子は、
そんなことはまったく斟酌(しんしゃく)せず、躊躇なく破く。
この真逆とも言える行動の違いは、いったい、どこからやってくるのか。
それは、言うまでなく、「目のついたもの」に対する「祟り」という思い込みがあるのかないのかの違い。
さてさて、街の書店を覗いてみると、有名な人気占い師の本がレジ近くに並んでいる。
そろそろ、来年の運勢が気になりだす時期なのか。
少しばかり早いような気もしなくはないけれど。
もしかして、私、来年は大殺界?天中殺?の年回りかもしれないね。そうだとしたら、さあて、どうしましょうか。
でも、私は、こう思う。
占いを否定する気はさらさらないけれど、確かに天体の運行の影響は少なからず受けるとは思うけれど、一番の影響力があるのは、私自身の思い込み。
観念という思い込み。
価値観からくる思い込み。
私たちは、親を通して、教育現場を通して、交わる社会を通して、ありとあらゆる関係、環境を通して、たくさんの観念、価値観の刷り込みを受ける。同時に自分たちも、観念や価値観からくる思い込みを周囲に振りまいていることだろう。
どうだろう。どうせ、思い込みの中で生きていかなくてはならないのならば、自分にとって有効な思い込みの中で生きていきたいもの。
そう、上手く強く思い込んだほうが人生の勝ち!?
いえいえ、それも過剰となると、勘違い人生を送らなくてはならないかもしれませんが。