今日は劇作家協会『月いちリーディング』にお邪魔してきました。
ほぼ毎月座・高円寺の地下稽古場にて行われるこの企画。
存在は知ってたんですけどね、はじめていきました。
毎月1作品を選び、俳優によるリーディングのあと、宮沢章夫さんや柳井祥緒さんを中心としながら観客による作品ディスカッションを行います。
まあ、ひらたく言うと、ベテラン俳優さんによる朗読のあと、観客とベテラン劇作家さんたち30人がかりで作品を1時間かけて批評するという、観客からしたらいろんな人と作品鑑賞した直後にいっぱい話ができる楽しい企画、脚本家からしたらとんでもない大勢から自分の作品を解体されるという何とも恐ろしい企画というおもしろい会です。
いやー。わたし、芝居観て人としゃべるのだいすきだから楽しかったけど、もし自分が脚本家だったらきっつくて無理だろうなー…!
終わった後、今日の作品を書かれた 江野澤雄一さんに「きっつくないですか?」って聞いたら、「正直、ボクシングで第十何ラウンドまでやったきもちです…!」ってすんごい疲れた顔をされていた。まあ…でしょうね…。まじこれやる脚本家は勇者だとおもう…!
でも、やっぱりふつうに劇場で芝居やってるとアンケートはどうしても「よかった」ばっかりだし、作品の質は動員数で計るしかできなくて、
「どこが良かったのか」「どうするともっといいのか」っていう話はなかなか難しい
と思うから、すごい良い企画だなって思いました。
今回なんか、たとえば「作品のテ-マ、構成などは本当に面白いけれど、登場人物の登場の仕方が唐突」っていう評があって、それはふつう作品を何本も何本も書いていくうちに本能的に直されていく脚本家のテクニック的なものなのかもしれないけど、こういう場ではっきりそれを言われれば、もっとショートカットしてテクニックを上げることができるから、すごくいいんだろうな、って思いました。や、わたし脚本家じゃないからわかんないけど。

しかしすごいのがこの企画、別に劇作家協会の会員じゃなくても応募できるんですって。
すげー。劇作家協会さんまじ太っ腹だよー(笑)。
なんか、自分の脚本どうなんだろう…?とか思ってる人とか、受けてみたらいいんでないすかねー?なんて。

劇作家協会『月いちリーディング』
http://www.jpwa.org/main/content/view/120/
ガチ切れとか超泣いた、
のその後
って意外と作品中で無いよねえ。
でもその後が大事なんだよね結局。
と思った2作。

ディズニー映画
「塔の上のラプンツェル」
大学演劇
中央大学第二演劇研究会「ソフトです、地獄」

たまたまラプンツェル観た後で中大ニゲキの芝居観たので並べてるだけですが。

「塔の上のラプンツェル」

ディズニー映画はiStore映画で観たいものがないときに観るのですが
絶対400円分は満足できるのがよいですな。
結構エグい童話のラプンツェルを可愛いくアレンジ。

あらすじ(サイトから超省略してコピペ)
深い森に囲まれた出入り口のない高い塔。そこに、魔法の長い髪を持つ、美しい少女ラプンツェルが暮らしていた。18年もの間、彼女は一度も塔の外に出たことがなく、母親以外の人間に会ったこともないい。。
18歳の誕生日の前日、お尋ね者の大泥棒フリンが追手を逃れて塔に侵入し、ラプンツェルの魔法の髪に捕えられてしまう。フリンが盗んだ王冠を取り上げた彼女は、交換条件として、外の世界を案内させることに。
“魔法の髪”に導かれ、ラプンツェルの“すべてが初めて”の旅が始まる。だが、未知なる世界への期待に満ちたその冒険には、彼女自身の秘密を解き明かす、思いもよらぬ運命が待ち受けていた…。


すごくよいなあ、と思ったのが
ラプンツェルが「お母様」に内緒で塔を出て
良心の呵責に悩んで
時たまうわーん、泣き出すところ。
シーンをそこで終わりにせず、
ひとしきり感情を爆発させて顔を覆って静かになって、
そのあと、ふう、と静かに顔をあげて立ち直るのだ。
その間、フリンは隣にずっといるのだけど、
は慰めるでもなくいいことを言うでもなく、静かに、彼女を見つめる。
この一瞬の冷ややかとも言える静寂がとってもリアルでよかった。
そうだよね、めんどくさくなった女子を、だいたい男子はほっとくよね。
そしてめんどくさくなった後の女子は、助けてくれる言葉が特に出てこなかったら、
割とあっさり黙って一人立ち直るよね。
多分50年前のディズニー映画なら(ガチの50年前のディズニーはミッキーが船の中で小鳥を撃って小窓から海に落としてゲラゲラ笑ってる映画とかいうツッコミはなしにして)
こんなシーン無かったんだろうなあ、と思った。

中大ニゲキ「ソフトです、地獄」

あらすじ
大学生の 林のもとに地元の友達、小川が家に転がり込む。
バイトの後輩や好きな女の子を勝手に連れてきて家で騒ぎ、無理やり金を借り、彼女に手を出す。
隣人の長谷川が追い出せと説得しても
「あいつ今大変だから」と林は家から追い出さない。

大学の十畳くらいの何もないスペースにワンルームを再現。
天井もあり。主な照明は家庭の蛍光灯。小川と浮気をしかけた彼女と別れてから部屋に女物のポーチがなくなったりと細々部屋は変化する。

ラプンツェル観た次の日に観たので目についたのだと思うけど、
これも、人が「ガチギレした後」が面白かった。
ラプンツェルでも書いたけど、ガチギレした後って、大体物語だと何かより激しい方向に向かうか、もしくは何かいい方向に向かったりするのだけど、
現実は超素の空気になって、なんとも言えない感じになったりするんだよなあ。
人間が怒ってられる時間って4分で、4分フルで怒ると、その後急激に落ち着いていくっていうのは聞く話なんだけど、
この作品ではその急激に醒めていく空気がすごい出ていたと思う。
人間がキレた後の静けさって、どうしてあんなに情けないんだろうなあ。

ラスト、遂に林はキレて全員を家から追い出す。
静かになった家で1人携帯を掛けるが、掛けた先は「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」。
「そりゃそうだよなあ」で、幕、
なのだが、
人間関係に我慢できず、
感情を爆発させて、周りを全部否定して追い出して、最後に救いを求めるのが結局人、
なのがいいなあ、と思った。
それから、この、電話した先が結局誰なのか、わからないままなのも。
まあやっぱり小川なのかしら。
あけましておめでとうございます。(松の内ギリギリセーフ)
年も明けたので備忘録含めてものっそい私見ですが

2011年 よかったものベスト10(舞台)

1 PARCO劇場/RUB「新・幕末純情伝」
長い感想はこちら
「文句なしの舞台」か?と言われればそんなことはないのだけれど(こら)
すごく「掻き毟られた」作品でした。
こういう気持ちになりたくてお芝居観てるんだよなあ、ってつくづく思い知らされた作品。
こういうのは、やっぱりショーとか遊園地とか他のエンタメでは味わえないよなあ。と。

2 イキウメ「太陽」
観て衝撃的といいう意味では一番。twitterでも書きましたが
「え?マジでイキウメどうなっちゃうんだろ!?(笑)」とちらりとでも思った人間を劇団員と前川知大が、と言わんばかりに全力で2時間かけてフルボッコにしてくる、ひりひりした作品でした。

3、箱庭円舞曲「いつも誰かのせいにする」
小劇場ってニートと学生が主人公の芝居しかなくて、
会社員ってみんな1万円のやっすいリクルートスーツ着てる芝居しかないなあ。
年齢相応の芝居はないのか!と思ってたら、
箱庭円舞曲さんはじめて観まして、「あったああああああああ!」という感じでした。
映画の製作会社の話なんですが
わたし今年4ヶ月ほど映画会社におりまして、観終わったあと茫然としちゃうくらい、
凄い一般の社会とちがう常識を「常識」として描いていて面白かった。
「いやいや、そんなことないっしょ(笑)。これさすがにここはフィクションでしょ?」って観た人が思っちゃうポイントこそ実はリアルな部分っていうつくりが、面白かった。

4、ままごと「わが星」
これを「今年の芝居」と言っちゃっていいのか?と思う部分もありますが。
しかし三鷹の星のホールで3時間並んで当日券を買ったという、
NODA・MAPさんでも昨今あんまりみないものっそいチケットの並びっぷり、
このお祭り騒ぎも含めて、ことしの「よかったもの」だなあとつくづく思います。
つうか武蔵野地域住民としては嬉しいのです。
作品もよかった。超ベットタウン23区外、団地ばっかりのこの街で製作されてこその舞台だと思いました。

5、世田谷パブリックシアター「奇ッ怪 2」
また前川さんかい、という感じですが、もともとホラー演劇が好きなんです。
奇ッ怪は1も観にいったのですが2の方が断然よかったです。

6、ゴジゲン「極めてやわらかい道」
初ゴジゲン。
始まって3分で「あ、これ絶対面白いじゃん」と思わせられた構成はさすが。
よーし、ゴジゲン観続けよう!と思ってたとこだったんですけどね…

7、アタリ・パフォーマンス 内村光良 一人舞台「東京オリンピック生まれの男」
これは本番観たわけではないので入れていいのか凄い迷うのですが…まあいいやー
スタッフとして入った現場で、2回稽古場で観ました。
いやー。「ウリナリ」「笑う犬」直撃世代には楽しくてしょうがなかったです。正直。
ピアノ演奏したり、家電販売ナレーターしたり
ウッチャンがこれまでの人生で挑戦してきたことぜんぶ詰め込まれていて、
テレビのコントで観た覚えのあるネタもあったりして、うおー懐かしい!ってなりました。
そして、多彩だなあ。凄いなあって思いました。

8、五反田団「五反田怪談」
…はい。怪談モノが好きなんです。ホラー演劇大好きなんです。
やー、面白かった。来年も行きたい。

9、梅田芸術劇場「MITSUKO」
観た当時は(他小池氏作品と比べて)「キャバレーのほうが好きだなー」って思ってそんなに好きでもなかったのですが
最近妙に思い出される…というか「後ろを振り向かずに」がよく頭のなかでまわってるので。
本当にいい曲。というわけで曲がだいすきです。

たぶん再演はもっと面白くなってるんだろうなー。…再演、するよね…?

10、ろりえ「三鷹の化け物」
主人公がテレビ局の先輩の家に行ったら新聞買わされそうになり断ったら8時間リンチされるくだりが面白かったです。(こら)
ろりえはあれだよね。ディズニーランドのアトラクションを目指してるんだよね。
今までのろりえの中でかなりの上位に入る感じで面白かったです。


うー。長くなった。
あとは冨士山アネット「∴家族の証明」と柿喰う客「悩殺ハムレット」が面白かったです。
まーただ2団体ともそうなんだけど、ずっと観続けている劇団だと、これまでの作品と比べちゃって、どうしても自分の中でのハードルが高くなっちゃうから良かったものに挙げ辛くなっちゃうんだろうなー。
柿は旧検察官とか人面犬を煮るとかをなかなか越えないし、アネットは白鳥が私的に素晴らしすぎたからなあ。

【2012年の目標】
2011年はぶっちゃけ年間ベストだすのがちょっと苦しかったくらい
正直あんまり観てなかったので(せいぜい50くらい…ううう)
もうちょっと沢山観ます。
あとは小劇場ばっかりになっちゃったので
新劇もミュージカルもチェクしたい。
あと若い劇団を実はあんまり観てないのでちゃんとチェックします。
ロロとかマームとかそういうのちゃんと観ます。

あとは落語をもっと観て勉強したいです。
仕事上じつは落語家さんのお名前読めなかったりして恥ずかしいなーって思ってたりしているので
年間最低限5本は落語観られるようにがんばります。

あと映画みなくちゃ。映画は年50本は観よう…

以上ー。
長々と読んで下さったかたいたらありがとうござまそたー。
今年もよろしくおねがいいたそます

原作:伊坂幸太郎
脚本:和田憲明
演出:ラサール石井
2011年10月3日
世田谷パブリックシアター

あらすじ
会社を辞め、何となくコンビニ強盗をしてしまった伊藤は、連行される途中で事故に遭い、
気がつくと荻島、という島にいた。
日本の島であるものの江戸時代から鎖国をしているというその島には、未来を予知できるかかし、本当のことと逆のことしかしゃべらない画科・園山、島で“罰”として生き、殺人を許されている男・桜など、伊藤の常識では考えられない奇妙な人々が暮らしていた。
日々野という男の案内のもと、伊藤は荻島で暮らし始める。

敢えて原作を全く読まないで行ったが、これが全くの大失敗だった。
大変な長編を2時間に纏めているせいで、端折られてすぎていた。
これはよくある話だが、“不思議な島に住む不思議な人々の中でおきる不思議な出来事”を作り出そうとして、その不思議空間を訪れた伊藤がその空間に違和感を感じる時間があまりにも少ないのだ。“不思議さ”にあまりに上演中の世界が当然のものとして広げられていた。
その場にいたら突っ込みたくなるであろう数々の理解不能な部分に何も触れず、結果、
その違和感が気になって先を観る気がまったく起きなくなってしまった。
そして、河原雅彦演じる日々野の存在が全く意味がわからなかった。
屈託なく伊藤に荻島の常識を教え、案内していくのだが、正直いい歳こいたオッサンが、
なぜ働きもせず少年の様に無邪気に振る舞い島に新しく来た男に四六時中優しく接するするのかがわからなかった。また、例えば玉置玲央が“荻島の法とされ殺人を行う“桜と”“警察官として法を振りかざす”城山をーといった、対照的なキャラクター2人を1人で演じているのだが、最初からそのキャラクターを知らない人間からすると、まず一目みたときから混乱し、その理由について必死で探ってしまう。そして、終演後パンフレットを立ち読みしたら“演出的に面白いから・作品の解釈として”という意味だけだったことを知り、がっかりするした。



そして、違和感を感じる、しかし美しい島、という姿が何もイメージできない舞台美術。
生成の布を上から垂らし舞台面を覆い
出演者はその布の切れ目をかき分けて舞台上に出てくる。
必ずその動作が入るので、何か大きなテントの様に見えてしまい、
自然の感じも・建物の質感も何も感じられなかった。はっきり言ってあの美術にした意味が全くわからない。

以上の理由で、私は全く理解できず、憮然として帰ったのだが、
落ち着いて思い返してみれば、劇場内の他のお客様たちは、「伊坂作品他に何読んだー?」や「伊坂幸太郎はー…」といった伊坂作品は読んでいることは当然、という前提のもとの話をしていたのを思い出した。
そうか、私が悪かったのか。と反省し、後日、原作を読んでみた。
なるほど小説上のキャラクターは、くどい描写が必要ないくらい、魅力的で、
「これを実写でやったらどんな人があうだろう?どんな人が素敵だろう?」と思う様な作品だった
そういう意味で舞台「オーデュボンの祈り」は、きっと「誰が誰をどんな風に演じるか」が当然の一番の魅力であり。
今や「伊坂作品は読んでいて当たり前」なんだなあ。と知った。


反省した。
脚本:つかこうへい
演出:杉田成道
2011年9月22日
PARCO劇場 にて

生まれてまもなく岡田以蔵によって拾われ、幕臣勝海舟によって
女子であるにもかかわらず剣士として育てられた沖田総司(おきたそうし・鈴木杏)。
彼女は「百姓は肺病に掛からねえ」と肺病持ちの彼女を受け入れた土方歳三のいる新撰組に入り、
隊の生活の為に賞金が掛けられている勤王の志士達を斬るようになる。
ある時、彼女のもとに土佐の志士、坂本龍馬が現れる。総司に惚れたという龍馬は頓所や隊務中に現れ、彼女を口説く様になる。
最初は面倒臭がっていた総司も、
次第に龍馬に惹かれるようになっていく。
しかし、総司は土方・近藤、そして勝海舟から「坂本を斬れ」と命じられてしまい、
彼女は龍馬を斬りにいく


つかこうへい追悼公演、と銘うたれた今回の公演、
何と言っても注目は主演2人の所在だった。
鈴木杏はここ近年のつか作品主演女優―黒谷友香、黒木メイサ、仲間リサ(仲間リサはつか演出ではないが…)の中でも断トツの当たり役、完璧な“つか女優”であったと思う。
誰よりも強く運動量も多いなかで、弱音は最高に可愛く、処女臭くなく、かといってスレてもいない。“つか作品の女”を違和感なく演じていた。Twitterで何人もの人が「生前つかさんに出会っていれば…」と惜しむ声も尤もだった。
そして、馬場徹。「飛龍伝」「広島に原爆が落ちた日」と続けてつかこうへい作品に出演し、
それらでは「3番手のイケメン枠」としての出演であった彼が、
とうとう主演に挑戦した。
近年のつか作品といえば筧利夫のイメージがどうしても強く、
最初の登場ではやはり違和感というか、とにかく異物感を感じざるを得なかった。
まず明らかにつか作品の主演の泥臭さがない。
スタイルがよくて若くてイケメンでダンスも華やかで…なぜこんなイケメンの優男が「ヤラせてくれ」と叫び、赤ブラジャーをつけてニコニコしているのか…。痛々しくすら感じた。
芝居にも余裕がなくて、必死さが伝わってきてしまう。
しかし、そうして総司の前に何度も現れる龍馬を見ていると、
その必死に必死に演じている姿、
無我夢中で気の無い総司に立ち向っていく姿が段々と魅力的に見えてくる。
アタマおかしくて、イケメンだけど気持ちわるいやつで、でも必死で。「なんだこいつ…?(不快感)」から、「何となく応援したくなる(母性本能?)」という印象の変化。
まるで劇中の総司の気持ちの動きそのまま、動かされた。

剣豪として名を馳せ、百姓軍団であるものの新撰組のno3としての地位を確固たるものとし、そして土方の“もの”となっている―そして本当は内親王である総司を、
土佐藩士で子分は岡田以蔵のみ、ほぼ単独で活動し、自分を含めてこれからの世界を作らんとする坂本龍馬が奪いにいく。
その姿は
女優として確固たる位置を持ち、山﨑銀之丞の相手役のほうがふさわしいくらいの芸能人・鈴木杏に対して、テニミュのイメージがいまだ強い若手俳優の馬場徹が相手役に挑戦していく姿に重なっているとも感じさせられた。

毎回、内容もさることながら出演者が自身を削って必死の思いで演じる姿を見せて感動させるつかこうへい作品。今回は鈴木杏と馬場徹の2人がそれを体現させ、つかの遺志/遺子であることを体現させていたと思う。
もっかいろりえについて。
セリフはうろおぼえなのでちょっと違うかも…?

ろりえ
「三鷹の化け物」
脚本・演出:奥山雄太
2011年10月9日
三鷹芸術市民センター 
星のホール にて


相方がブレイクし、コンビ解散を言い渡された芸人の雄二郎
全力で号泣していると同じように泣いている女がいた。
コイコと名乗るその女はその場で「突然ですが、好きです!」と雄二郎に告白した。
が、彼女は謎のSPに連れ去られてしまう…。
そして、雄二郎とコイコの恋愛がはじまる。


ゴジゲン
「きわめてやわらかい道」
脚本・演出:松井大悟
下北沢駅前劇場 にて

ボロアパートの一部屋で集団ストーキングしている4人の男。
彼らは隣に住むピンサロ嬢、キミを「姫」と崇め、自らを「兵士」と名乗り
彼女を盗撮・盗聴・ストーキングしていた。
彼らは松山ケンイチ、尾崎豊、坂本龍馬、プルート、と彼女の好きなものの名前を名乗り、
「静かに姫を見守る」と言って彼女に近づくことなく、日々隣の彼女を覗いていた。
しかしある日キミの彼氏である宗太の借金取り2人が4人の存在に気づいてしまう。
「君らがあいつの借金代わりにかえしてくれる?」と借金取り2人は4人に持ちかける。

共にポツドールチルドレンでとも言うべき2人が
ほぼ同時期に公演を行っていた。

共に恋愛の形について、少し歪んでいるが登場人物なりの恋愛、について語っていたのだが
ろりえでは
「めちゃくちゃ泣いてるの見て、ああ、この人ホントにダメな人だなって思って好きになった」
とコイコは雄二郎を好きになった理由を語り、
「俺より化け物みたいな女がいたんだ!」
と雄二郎の兄であり、超肥満で自分はバケモノだと思っている雄一郎は
同じくらい肥満の女、イエスタディを好きになる。

恋愛が
相手を好きなるというところが
相手のダメなところを見る、
相手を見下すようにできている。

それに対しゴジゲンは
「兵士は姫に触れてはいけない!」
と4人は言ってキミに自分の存在を気付かせようともせず
ただひたすら見守り、彼女の写真や持ち物を大事に飾っている
「姫を守るっていう名目で均衡が保たれてんだよ…!」
と、本当は姫が好きでなく、尾崎豊に惚れている松山ケンイチはこっそり借金取りの男の星にだけ伝える。

恋愛が
相手を好きになるところが
相手を神聖視する
相手を見上げるようにできている。

そもそもとして、
ろりえはダメ男に女が複数群がる
のに対して
ゴジゲンはダメ女に男が複数群がる
様にできている。

ろりえは中央区を舞台に広く“街”を描き、
ゴジゲンはアパートのふた部屋を描く。


ろりえは新進の劇場、三鷹市の星のホールで
ゴジゲンは老舗の劇場、下北沢駅前劇場で。


2人とも三浦大輔に大きく影響を受けているような作風だが
その表現方法は全く別の答えになっていて、
非常に興味深かった。
ろりえ
「三鷹の化け物」
脚本・演出:奥山雄太
2011年10月9日
三鷹芸術市民センター 
星のホール にて


相方がブレイクし、コンビ解散を言い渡された芸人の雄二郎
全力で号泣していると同じように泣いている女がいた。
コイコと名乗るその女はその場で「突然ですが、好きです!」と雄二郎に告白した。
が、彼女は謎のSPに連れ去られてしまう…。
そして、雄二郎とコイコの恋愛がはじまる。

ろりえ、というより奥山雄太が変革期なんだなあという印象でした。

今までのろりえは、
本谷有希子の「面倒臭いあたし大好き!」へのアンサーとも言うべき
「面倒臭い彼女が大好きな俺が好き!」という、作風だったと思う。
しかし今回面倒臭い女も、それを受け入れる男も出てこなかった。
ダメダメな相手を受容するところは変わらないが、相手がダメなことも、今まで見て見ぬふりをしていたそれが世間的にどう映るかも分かった上で相手を好きになる、という風に変わったという印象。


冒頭の喫茶店でのコンビ解消の流れが、
明らかに
ろりえの「代表作」とされてしまっている
アイスコーヒーの自虐で
もうあれを代表作とは言わせません、というこの作品への意気込みと覚悟が見えた気がした。

…しかし、2幕の仕掛けは凄いと思ったが
ああいうの辞めたら年2回ペースで公演できるんじゃないか…?と思ったらだめなのだろうか。
りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ
作:ウィリアム・シェイクスピア
構成・演出:栗田 芳宏
2011年9月24日観劇
梅若能楽学院会館 にて

紀元前3世紀、地中海東岸をめぐるペリクリーズの旅物語。
タイアの若き領主ペリクリーズは、アンタイオケの王女を妻に娶ろうと王宮を訪れるが、
王女と父である王アンタイオカスの近親相姦の関係に気づいてしまう。
王アンタイオカスはペリクリースの暗殺を謀し、ペリクリーズはそれから逃れるため、
船旅に出る。

東中野の能舞台での公演。
エスニックな衣裳の役者が、打楽器による生演奏を行いながら作品が進む。
日本の正統派のシェイクスピア。
舞台壁部分に登場する地中海都市の地図が描かれ、登場人物の旅の流れがわかりやすくなっている。
柄谷吾史氏が思慮あるペリクリーズを好演


ところで
田上真里奈がマリーナを演じていたが、栗田氏はこれがやりたかったのかしら?
最近小劇場について特に
「看板俳優って減ったよなあ」と思う。
看板俳優っていうのは劇団のメインの役者というか、
「この劇団といえばこの人!」っていう存在。
例えば、大人計画=阿部サダヲだし、
カムカムミニキーナ=八嶋智人だし、
お客さんが公演に際して「この劇団にはこの人が出てるから観たい」って思わせる
劇団員の人。

まあ興行者的にぶっちゃけて言っちゃえば、
客演で呼んで、その人自身があんまりその公演に対して乗り気じゃなくても、
勝手に100枚とか200枚とかチケット売れちゃう人。


最近、小劇場で一般で100枚200枚売る人ってだれ?って聞かれると思い浮かばない。

というか、大体、劇団で有名な人=チケット売れそうな人=看板役者=作・演出=主宰
という構図ばっかりなきがする。

んんー。
これは商業系の興行者は小劇場系つかいづらいよなあ。



いや作演が出るのが悪いとかではなくて、
そもそも演劇界って
作演はテレビの脚本の仕事だったり
ワークショップなりお教室の先生だったり
舞台から派生した形で
割と食っていける方法はあるけど
俳優はあんまりそういうの無くて
そもそも不利な様にできてるのに

俳優の部分も作演がもってくんかい、と。



やー。わかんないけど。


取り敢えず俳優さんがんばって!!という。
未来は暗いけど。

という話を前職のスタッフとよく話していた。

「絶対ニートかフリーターか学生の話しかないんだもん」

というのがその理由。


…という話を、王子のT山さん(何も隠せていない)にした。

そうしたら

「いや、芝居において、登場人物は昔からニートかフリーターか学生しかいなかったよ」

という言葉。

たしかに。


じゃあなんで「どれも同じ」と感じるのか?という話になった。

そこで出た結論


小劇場に限っての、作風の流れを大雑把に見てみると


70年代のお芝居は

学生(もしくはフリーター)が家に帰ってくると学生運動に出かけた


80年代のお芝居は

学生(もしくはフリーター)が家に帰ってくると押し入れから人が出てきて

「世界を救ってくれ」って頼まれて異世界に行って世界を救ってきた


90年代のお芝居は

学生(もしくはフリーター)が家に帰ってくると特になにもせずセックスをした。


ゼロ年代のお芝居は

学生(もしくはフリーター)が家に帰ってくると特になにもしなかった。


10年代のお芝居は

学生(もしくはフリーター)が家に帰ってくると特になにもしなくて、

家族がいて「家族っていいな」って思ってたら気がつくと自分が父親になっていた。


…つまり、

70~90年代の作風の変わり方があまりに劇的すぎて、

90~10年代の微妙な作風の変化が、あまりにそれに対して小さすぎて

観客からすると「どれも同じ」に感じてしまうのではないか、と。



如何なんでしょう。

まあだからと言って、その善し悪しはわからないのだけれど。