親父が無くなってから納骨を済ませるまでの間は、御袋と二人の暮らしだった
規則正しい生活で、朝食も毎食頂かせていただいた
その時間はというと、大体午前7時3,40分頃であり、
御袋の年代はNHKが情報源であるからして、
朝の例の番組を毎朝見る羽目になった
ところがどうして、『マッサン』に嵌った
というより、そのカミサン役に嵌ったという方が正解なんだろう
毎日、観た
そして、今は、御袋とは別々にしろ、
朝の例の番組に嵌っている
相変わらず、そのカミサン役に目が点である
あえて避けていたわけでは無いにしろ、
実際、接して見ないことには判らない事ではあった
その後に、或いは改めて接してみて判ることがあるものである
その目線の先が、本来では無いにしてでもである
一月十三日に、親父が入院との知らせで田舎へ馳戻った
御袋は看病疲れで、グロッキー寸前だった
病院通い40日めの二月二十一日、親父は旅立った
わたしは喪主として、納骨まで立ち会った
親父は、昨年自分で墓石まで作っていた
親父の旅立ちに際して、わたしは何の苦労も無かった
『孝行したい時には親は無し』とは言うけれど、正にその通り
82歳になる、残った御袋には出来る限りをつくしたいと思う
早いもので今年もあと361日と押し詰まった

大みそかにワンちゃんのご飯がこと切れたので、
元旦早々から近くの24時間営業のスーパーに買い出しに出かけた

そこで感じたのが、そこいらの民家に限らず、店舗や会社などでも
正月飾りが殆ど見られなかったということだ
一般民間人の暮らしはぎりぎりなんだな~ということだ
いや、一般とは言うまい
ホクホクなのは、極限られた一握りの雲上人だけだ
わたしの慎ましやかな楽しみの一つがポイントサイトでこつこつ稼ぐ

正月には例年ならあるポイントの大盤振る舞いが今年はみられなかった
これも富の一極集中の証左なのではないか?
大袈裟にもそう言い切ってしまわせてもらっても、罰は当たるまい
羊さんが走り去り、お猿さんも駆け抜けた暁には、
赤いおべべをお召しになるオッサンの、
今年年頭の雑感ではあった