努力ってポジティブな言葉ですよ? | KEITAの我流テニス日記

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こんにちわ!3度の飯よりテニスを愛す男KEITAと申します!

昨年一時ブログ更新が止まっておりましたが、再開します!


今年から「ハイパフォーマンステニス」というサイトを運営し、より多くの人々のテニス上達の力になる所存です。

どうかよろしくお願いします!


こんばんは、KEITAです!


あー良かった。


今日は昨日に比べたらだいぶ暖かくて。


ほんと、昨日みたいな寒いのはもうゴメンです。


もうこれからどんどん暖かくなってくれることを全力で願っています。



ところであなたは「努力」ってしてますか?


いや、昨日イチローの話をしましたけど、
たぶん世間的には彼のことを「努力する天才」だと思ってる人が大多数だと思うんですけど、
僕的に「そうかな?」って思うんです。


てかそもそも努力って何?ってところから話したいんですけど、
結構多くの方が努力するってことを
「自分の好きなことを我慢して一つの目標に向かって頑張ること」
だと思っていると思うんですね。


なんかこうして聞いてみると努力ってネガティブな言葉だなーって思うんです。


我慢とか、犠牲とか。


じゃあイチローは好きなこと、
やりたいことを我慢して、犠牲にしてたなのか?ってことだと思うんですよ。


たぶん違いますよね?


彼はとにかく一番野球が上手くなりたかったから、
一番になりたかったから、


その気持ちがめちゃくちゃ強かったからあれだけのことができると思うんです。


そうなることが彼にとって、
最大の満足を得られるからやるんですよ。


つまり、イチローだって単純に「自分がやりたかったことをただやっている」

それだけではないかと。


だから僕は決して「努力」って言うのは何かを我慢して、
犠牲にしてやるものじゃないと思ってるんです。


そんなネガティブなものではなくて、
自分が一番好きなこと、
やりたいことを満足するまでとことんやること。


それが本当の「努力」だと思うんですよね。


ようは「それだけの気持ち」があれば、自然とそうするよねってこと。


だから、つまるところ気持ちの問題だよと。


端から見たらあの人はすごく努力してるように見えても、
本人からしたら「やりたいことやってるだけだよ!」
って感じ。


だから実は一般に努力家って言われる人たちほど、
「頑張ってもいないし、努力もしていない」って、
僕が尊敬するある人が言ってました(笑)。


ここを多くの人が誤解してるんじゃないかと思います。


だから、
昨日僕が「イチローは追い込みが半端ない」って言いましたけど、
それで変に力むというか、

「おれもやんなきゃ!」って使命感?みたいなのは持たなくていいと思います(笑)。


ただイチローのようにストイックになりたいのなら、
自分の「おれはほんとはどうなりたいんじゃ?」って気持ちに耳を傾けてみたらいいのではないかと。


それで自分の「本音」がイチローのように「限界まで自分を高めること」にコミットしているのなら、
そしてそれが自分の人生の一番の目標になるのなら、

たぶん意識しなくても「自然と」そのようなストイックさを身につけるでしょうね。


逆に自分の本音がそこまでする時間も情熱もないって言うのであれば、
イチローみたいにはなれないかと思います。


まあ、そういう人はそのままでいいんですね。


皆その人なりの人生のプライオリティが決まってると思いますから。


ただ、どんな人生にしていきたいっていうのは、
時とともに変化していくものだと思うので、
いつか「ふとした拍子」に
「イチローマインド」がインストールされるかもしれません。


こういうマインドの変化は、
普段からどういう「情報」を自分に入れていくのか?
ってことがかなり関係してくるんですが・・・

まあ、この話はまた別の機会に(笑)。


とにかく、今日の話を聞いて、
もっと多くの人にポジティブに「努力」という言葉を使ってほしいと思います!


KEITA