最近の大変化。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

私は虫が大嫌いだった。

全ての虫が大嫌い。

不幸なことに我が家に迷い込んだ虫は

抹殺される運命だった。


だが、次男はそういった「殺生」が

昔から嫌いだった。

心底嫌いな蜘蛛でさえ、

なんとかして外へ出そうとする。

私なら捻り潰して終わりだ。


なので、私もその部分で

次男に気を使うようになった。


そんな今年、カメムシか大発生。

異常に繁殖しているらしい。

なので我が家のベランダにも

時々舞い降りている。


ある日のこと、朝、いつものように

雨戸を開けるとカメムシが入って来た。

慌てて外に出そうとしたけれど

注意しないと臭い攻撃をするのがカメムシ。

幼虫の時は背中に臭腺があるが

成虫ではお腹側にある。

なので不用意に触っては

大変なことになる。


いつも窓際には蜘蛛が入った時のために

透明のプラスティックカップを置いている。

それで外に出そうとしたら

自らせっせと窓のサッシを乗り越えて

外に出て行こうとしていた。

そんなカメムシの焦り具合を見ていると

自分でも驚いたことに

「かわいい!!!」も思ってしまった。


なんてかわいい!

なんて一生懸命!

思わず、「がんはれー」と言ってしまった。


カメムシはえっちらおっちら

サッシの窓を通す山々を乗り越えると

シューと緑色で透明の羽を広げて

急いで飛び去った。


恐らく、

人生でも一二を争う圧倒的な経験だった。

あんなに忌み嫌っていたものを

かわいらしいと思えるなんて、

虫に対する私の中の概念が

180度変わる経験だ。

こんなことってあるんだ!!!


嫌いではないものが増えると

心の中のクッションが増えて

柔らかくなるような気がした。


昨晩、雨戸をおろしてカーテンを

閉めようとすると、蛾が1匹張り付いていた。

雨戸と同じ色に羽の色を変えて

まるで枯れ葉のように見えた。


去年の私なら悲鳴をあげて殺したな。

でも、そのままそっとしておいた。


寝る前に見ても、まだ蛾は同じ場所にいた。


朝起きて雨戸を開ける時にはいなくなっていて

どこに行ったのかな、と思った。

雨戸を開けると、

ベランダと雨戸どのサッシの間に

ぽとりと落ちている。

そばにあったサンダルでそっと触ると

なんら反応はなく、息耐えていた。


そっとティッシュに包んで捨てた。


昨日は突然寒くなって

前の日との気温差が7-8度もあって

その上雨が一日中降った。

蛾にとってタフな一日だったのかな。


その短い人生の最期の時を

雨風凌げる雨戸の内側で過ごせて良かった。

そんな風に、ふと、思った。


『沈黙の春』で有名なレイチェルカーソンは

自然との共生こそこが

人類の永続に繋がると言っていた。


もちろん、にっくきGなんかは嫌だけど

人間の勝手な所作で招いた温暖化で

そのサイクルが狂わされた虫たちに

なんの罪があるんだろう。

洗濯物に卵を産みつけられたり

そんなことは困るけど、

私の嫌いようは異常だったように思う。


人間、長く生きてみるもんだ。

とは、この頃によく思う。

自分のことが全く分かっていないこと、

そして、好き嫌いの曖昧さ、

嫌いが減ることの功名、

人生は豊かになるんだな。って。


虫は触れません。

でも、昔ほど嫌いではありません。

逃げゆくカメムシの愛らしさ。

知れてよかった。