東アジアの文化に心病む。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

いよいよ60歳の扉が見えてきた。


まだまだ時間はあるように思えるが

この国に住んでいると

もう自分が終わりのような気持ちになる。


どうすべきかものすごく考えてしまう。


帰国してからそろそろ7年が経つ。

だが、年齢を聞かれたり

書いたりすることに未だ慣れない。

年功序列の文化的背景から

「年齢を聞く」というのは

仕方のないことだとは思う。

だが、あらゆる書類に年齢を書くことに

なんの意味があるのだろうか。

ひどい時には

社内会議の出席者の年齢を公表、

その平均年齢まで書かれていた。

その目的を問いただすと答えられず、

慣習的なもので

惰性で継続されていたものであり、

すぐに削除されることになった。


だが、履歴書に年齢を書くことは

未だに終わらない。

今や管理者側にいる息子に聞くと

「米国なら即刻訴訟に持ち込まれ、

大金を失うことになる」と言っていた。

日本もそうなれ!


ひと昔の60代ではないよなぁ。

気力も体力もしっかりしている。

仕事だってベテランだ。

昔のように若い人で溢れているなら

様々な機会は若人に譲るべきかもしれないが

そうでもない昨今、続けられる仕事は

きちんとした報酬の下

継続して然るべきではないか?

などと今更のように思っている。


その方が年金の支出も抑えられるし、

財源の確保にもなるだろうに。

旧態依然とした状態は

マンモス化し、17年マイナス金利で

なんらスティミュラスになってないのを

ダラダラ続けてきたのを良しとした

政府にその辺りメスを入れるのは

本当に無理な話しなんだろな、と

本当に国の状態を俯瞰的視点をもって

見ることのできず

自分たちの指先にひっついている

古くなった餅を死守しようとする

首相を始めとした政治家には

辟易とする。


まぁ、問題は政治家だけじゃないけど。

企業だって同じだ。

税金をカットしてもらって

それを従業員に還元することなく、

ここもやはり「やったー!」とばかりに

埋蔵金にでもするんじゃないか?みたいに

肥やしにしてるんだから。


でも、春闘は満額合意、

だがしかし、派遣社員の私は60歳が

定年なのでこのまま賃上げなく

押し切ろうとされている。


なぜこんなことが起こるのだろうか。


私、どうにかしないといけないと思う。


浮気夫や暴力夫に辟易としながら

そこにしがみついてる女性に

「立ち上がってー!」と言いたい私だけど、

今私のしてることは

そんな「力がないの」と自分を過小に

眺めている人たちと同じだ。


本日は、鬱病再発です。

天気のせいかも。

胸がドキドキして、手が震える。

頭がひどく痛くて

不安で心が汲々とする。


安定剤の服用回数が増えている。


なんでもいいから、もっとしっかり

自立したい。

もっと、しっかり。

もっと、もっとしっかり。


何もない自分だけど。

それでも、もっと、しっかり。