考えない人たち。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

Netflixで『京城クリーチャー』という

韓国ドラマをたらたら観た。


日本統治下の韓国を舞台に

日本の731部隊に

スポットライトを当てた作品。

これにはパクソジュンや

私の大好きな女優さん、

ハンソヒが出演している。


これがね、

「反日作品だ」と

日本人からのクレームが

止まらんらしいのだ。


いや、そういう方々、

何を観てそれ言うてるん?

と、私も日本人やけどね

びっくりしたわ。

日本人にそんな愛国心あったん?

と言うのが本心。

後は、

「ほら、ちゃんと歴史でほんまのこと

教えへんと80年も来たから

ほんまのこと言われて

『反日だ!』とか明後日な

反応するようになってもうてからに」

と、薄寒い気持ちになった。


あれは反日ドラマではない。


表面的に観ればいい作品も

世の中にはたんまりとある。

それとは別に

深掘りをしなければいけない、

そういった作品も世の中にはある。

それがなければ芸術は

成り立たないではないか。


そうやって、

深く物事を考えさせない

教育しかしてこなかった

国家には、知性的に脆弱化した

社会構造しか残らない。

で、エンタメなんかは

はちゃめちゃに笑えて

若い人たちの恋愛に特化した

ラブリーなものだけあればいい。

みたいなことになって

真価を得てくれる人少なく

レベルの低い「愚痴」みたいな

感想がダダ漏れに溢れるようになる。


芸術も衰退してするしかないがな。


先ず、パクソジュンとハンソヒという

今や世界的にもホットな俳優陣の

出演ということで

勝手に「ラブロマンス」を

望んでいた向きが多いのではないか、

と思うんだが、

それとちょっと違う方向性の

ロマンスに

「もっと絡んでほしい」という

どこぞのクリティックを読んで

アホか!と思って脱力した。


なんかあの状況で腫れた惚れたなんて

やってたら、単なるモンスタードラマで

ちゃんちゃん終わってしまうし、

個人的には、時代背景なんぞも

考えたら十分に絡んでる。

それに、今やハリウッドにまで

進出したパクソジュンや、

アクション女優にまで進化した

ハンソヒが、そもそもそんな

甘ったるい、くだらない仕事を

受けると思いますか?と

その道で飯食ってるんなら

もっと見る目を養いたまえ!

と、思うほどくだらない。


それにね、私は日本帝国軍の

低俗さを、韓国人俳優にきっちり

演じさせてることが

なんともすごいな、と思ったわけ。

「この薄汚い朝鮮人が!」という

雄叫びや、ひどい暴力など、

お互い韓国人同士でやってるわけ。

しかも、日本語ね、

発音指導など、もっときっちり

やって欲しかったな、とは思うけど、

それでも手を抜いていないことは

作品を見ていると感じられる。


過去を歪曲した歴史を教えるのも

ダメなことだけど、

詳らかにしないのも同罪でしょう。


日本が過去の汚染から

本当の意味で脱出するのは

いつになるんであろうか。


政治家の体たらくぶりを見ていると

ドラマひとつ本筋読み込めなくて

つまらんバッシングに明け暮れて

いる人たちがいても不思議ではない。


色んなことが深い下のところで

繋がってるんだよな。

そんな気持ちになる

市井の人々の感想バッシングなのだ。