和気神社へ・・・3 孤児を育てた広虫 | LIZABSTRACT

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藤原仲麻呂の乱、いわゆる恵美押勝の乱( 764)ののち
戦や飢饉で孤児になった子供を集めて育児院で保護した
和気広虫の話は有名だ。

それで和気神社は育児、安産、縁結び、
そして福祉の神様として信仰されているそうだ。
和気神社では、広虫が日本最初の孤児院を作った女性という
事になっている。
聖徳太子が悲田院という収容型福祉施設を
593年に作ったという話もあるが、
聖徳太子自体が神話的な人物だし、後付けの感じもする。
723年、皇太子妃時代の光明皇后が設置したものが、
記録上では最古のようだ。

光明皇后は広虫が仕えていた称徳天皇の母なので、
広虫と称徳天皇が一緒に創った孤児だけを集めた施設
のような気がする。
国からも援助があった事もその証拠のように思うが、
称徳天皇が天武天皇系からの最後の天皇で、
天智天皇系の光仁天皇に代が変わった事で
全て広虫の手柄になった感もある。

この時代興味深いのは、天皇も女性、有力な側近も女性。
光明皇后の頃から相当に女性の力が強くなっていて、
光仁天皇に変わったとたんに、全て男性の社会になり
称徳天皇の事も広虫も 解釈が変わった気がします。
本来清麻呂は有力な姉の使い走り的な立場だったようにも
思うのですが、「清麻呂と広虫」と清麻呂が主のように
なっています。

女性優位の世の中が良いと思っているわけでは無いけれど、
男が戦をしたりすると、必ずそのツケが幼い子供たちに
廻るので、女性的な発想の政治はそう悪くないのでは
ないかと思うのです。

今となっては、すっかり猥褻な嫌疑をかけられ、
悪者扱いの道鏡と、男に現を抜かす浅はかな女性天皇の
汚名をかけられたままの称徳天皇と高僧・道鏡だが。

称徳天皇が思い描いた仏教の世が実現していたら・・・
それは神仏習合の仏教だろうけれど、
天智天皇系の天皇はあり得なかったわけだ。
そして仏教の法王が天皇になり
国を治めるようになるはずだったのだろう・・・
そう考えると、意外にこの時代に称徳天皇は、
滅びゆく天武天皇系の血筋を見越して、
新しい天皇制を築こうとペレストロイカしようと
していた女性なのではないかと思う。




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