第十話 ① | 小説・混雨 【まじりあめ】

小説・混雨 【まじりあめ】

学生時代に制作した映画の小説。カナダ・バンクーバーを舞台にしたストーリー。

2000年バンクーバー

一度奥へと立ち去っていった受付嬢が強張った顔をして帰ってきた。ありありと戸惑いの色が見える。

「どうぞこちらへ」

茶子は、受付嬢の予想外の言葉に驚いた。中へ通されるということは、星子に会えるのだろうか。胸の動悸が早くなるのがわかる。
色々思案しても仕方ないのだが、何をどう話せばいいのか、もう少ししっかりまとめておくべきだったと後悔した。

「あなたは駄目です」

受付嬢の鋭い声に振り返ると、先ほどの男が一緒に入ろうとしたところを止められていた。後々、この男が茶子に大きな変化をもたらすのだが、茶子はまだその事実を知るよしもない。久しぶりの対面に茶子は男の存在など考える余裕すらなかった。

「どうぞ。お掛けになってお待ちください」

受付嬢に通された部屋は、何の変哲もない会議室だった。

いたるところに、星子をはじめ所属アーティストのポスターなどが貼られている。商談にでも使う部屋なのだろうか。茶子はバッグの中から一枚のチラシを取り出した。

カフェオープンの告知ビラで、原稿はもちろん茶子の手作りだ。カフェの名前は最後まで悩んだ末、最終的に一番シンプルで覚えやすく、ネルソンのシンボル的存在のOrange Bridgeの名前を頂戴し「Orange Bridge Cafe」と名付けた。

ロゴもOrange Bridgeにちなんだ形になっている。自分でも芸のない名前だとは思うが、下手に凝って覚えにくいよりはましだろう、と最近は思うようになった。出資者の叔父も気に入ってくれている。
一通りチラシに目を通した頃、ドアが開いた。

「茶子ちゃ~ん!ひさしぶり~!元気?」

「星子ちゃん、うん、元気。星子ちゃんは?」




入ってきたのは紛れもなく星子であった。幼馴染の茶子ですら、後ずさりしてしまうような強烈なオーラを放っている。スターとはこういうものなのだろうか。意外にも明るく接してきてくれた星子を見て、茶子は幾分気が楽になった。嫌がられるのではないかと心配だったのだ。

「どうしたの?急に?いつバンクーバーに来たの?」

煙草に火をつけながら星子は聞いた。
星子のその何気ない動作が茶子は気になった。当然のことだが、以前会った時は煙草など吸っていなかったはずだ。いまどき煙草を吸っている女性は珍しくないが、星子のそれは何か違和感を感じさせるものだった。

「昨日ネルソンから出てきたの。ちょっとバンクーバーに用事があって。で、みんなはどうしてるかな、と思って」

茶子は単刀直入には言わず、遠まわしに言った。自分でも何故だかわからないが、反射的にカフェの話を避けてしまったのである。自分でも少し気が動転しているのがわかる。

「ふ~ん、そうなんだ」

星子は、煙草の煙を吐きながら言った。先ほどの友好的な態度とは反対に、幾分冷ややかに見える星子の態度が茶子を不安にさせた。茶子は不安を打ち消すように、星子に当たり障りのないよう、最近の様子を聞いてみた。

「別に、、、特に変わったことはないけどね、、。あ、そうそう、来週バンクーバーからツアーをスタートさせるんだよね。今リハやっててさ、全然気が乗らないんだけど、仕事だからしょうがないよね。よかったら茶子ちゃんもおいでよ。どうせ茶子ちゃん来週も暇なんでしょ?良い席とってあげるからさ」

悪気はないのだろうが、星子の言い方が耳についた。茶子の恐れていた「変化」が見え隠れしているように思える。友好的を装っているように見える星子を前に、茶子は恐れていた現実をかみ締めていた。

「あの、、、星子ちゃん、、私、ようやくカフェをオープンできることになったの。実は、その報告のためにバンクーバーに来たんだ。」

茶子は勇気を振り絞ってオープン告知のチラシを渡し、バンクーバーに来た理由を打ち明けた。いくら大スターになったからといって、そう簡単に昔の夢を忘れるはずがない。茶子はそう信じていた。

「へ~、そうなんだ。カフェね~。ほんとに開くんだ。変わらないね、茶子ちゃん」

星子はチラシを見ているが、さして興味もなさそうに見える。

変わらないね、という一言が胸にずしんと突き刺さった。なんとも言えない星子の対応に、茶子はどうすれば良いのかわからない。ただ、本当の星子がどれなのか、見極めるのに必死だった。

「星子さん、時間でーす!」

スタッフらしき男の声に星子は立ち上がった。

「まあ、またバンクーバーに来たら連絡してよ。今度はゆっくり話せるように時間つくるからさ。じゃあ、またね」

社交辞令とも取れる星子の台詞に茶子は苛立ちすら覚えたが、突然の面会を求めた自分の迂闊さを恥じ、立ち去る星子に謝った。

忙しい中、面会してくれただけでもありがたいと思わなければいけない。いまや星子はそういう身分であり、存在なのだ。

そう、星子とは身分が違う。その存在意義すら、昔とは違うのかもしれない。星子との面会は時間にして5分足らずのものであったが、茶子の心を沈ませるのに充分な時間だった。様々な思いが全身を駆け巡る。

茶子は自分一人になった会議室の椅子に深く腰掛け、ゆっくりと深いため息をついた。明らかに、失敗と言える再会だった。