2000年 バンクーバー
「太郎さん、車できてるよ」
怪しげなチャイニーズカナディアンの留守電を聞いた太郎は、Hastingにあるいつものカーディーラーへと向かう。一年半も放置していた愛車ボルボは、当然のことながらバッテリーがなく、タイヤもパンクしていた。3日前から修理に出していたのだが、どうやら治ったようだった。
太郎はこれから始まる新しい日々に胸の高鳴りを抑えられないでいた。新しい出会いを期待する自分と、心のどこかでネガティブな自分が常に存在する。最後にはやっぱり裏切りしかないのか、、、。そう思ってしまう。そんな心の不安を取り除いてくれる人々と会いたい。
圭介が言っていたような、自慢の仲間達の中に自分も入れるのではないか。
そんな思いにふけながら、バックミラーに写った後部座席のスタジャンに目が留まった。
以前、裏切られた仲間達と一緒に着ていたお揃いのスタジャンだ。自然と動悸が早くなるのがわかる。まだ自分の中で消化しきれていないのだろうか。口の中に嫌な味がじわっと広がる。
太郎は夜のバンクーバーを当てもなく走り始めた。
甲高く鳴り響く車のクラクションで目が覚めた。枕元の時計を見ると、無機質なデジタル表示が7時を指している。この街には目覚まし時計なんかいらないのかもしれない、と茶子はベッドから起き上がり、小さく伸びをした。ネルソンでは決してありえない出来事だ。
窓の外を見ると、West Gerogia Streetを埋め尽くす車が目に飛び込んでくる。ラッシュアワーの車達は皆、どこかいらだっているように見えるから不思議なものだ。普段おとなしい人達も、この時間帯だけは戦場に赴く戦士のように見える。
車という便利な乗物が北米社会に根付いて早数十年の月日が経とうとしているのに、渋滞だけは文明の力で解決できない難題のようだ。この忙しない大都市の中で、皆それぞれ生きるために必死にがんばっている。茶子の友人達もまた、同じ空の下でがんばっているかと思うと、素直にすごいなあと関心してしまう。生まれつきおっとりとした性格の茶子には、この街のリズムにどうしても乗り切れない。
「さて、最初はやっぱり、、、、」
今日からはじめる友人訪問の最初の一人目を、茶子は昨夜決めていた。決めていたというより、彼女以外に所在がはっきりしていない、というのが事実である。
その彼女とは、本山星子。
決めていながらも、つい二の足を踏んでしまうのは星子がいまや、一般の人間では近づくこともできない大スターになっているからだ。
本山星子と聞いて、知らない人間はいない。それほどまでに遠い存在になってしまった星子を、茶子は嬉しく思い、誇らしくもある。しかし、心のどこかでやはり一抹の不安は残っていた。仲間達の間で、一番生活が激変したのは間違いなく星子であろう。茶子には想像もつかないぐらい様々な壁を乗り越えてきたに違いない。その中で、星子はどのように成長し、また変わっていったのだろうか。星子に会えたとしても、どう話を切り出して良いのやら、茶子には検討もつかない。
「とりあえず、、、、行くしかないよね、、」
茶子は不甲斐ない自分の心を戒めながら、星子の所属事務所「Roughcrew.inc」へと向かった。


