■2024/7/2

夫は膵臓癌の終末期後半で在宅緩和ケアを行っています。

訪問診療医師からお話が有り、

貧血の対症療法として輸血を行ってきたが、

今後輸血をしても効果を得にくい事が分かっており、

この日、最後の輸血になるとのこと。


2024/5/2〜在宅緩和ケアになってから通算4回在宅で輸血しました。


直近の出血と輸血の経緯はこちらに書いています


訪問診療医師から、以下の話が有りました。

正確に聞き取れてないかもしれませんが、

覚えている事を書いてみます。

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・血液検査結果から今迄に無かった黄疸(胆管ステント詰まり)や、

肝臓と腎臓機能の低下が見られる。

エコーで見ても、お腹に泥のような物が溜まっている。

本来であれば、(体に溜まったゴミのような物を)自分自身で浄化できる機能が人間には有るが、その機能が低下したので、その他の色々な臓器にも、今後悪い影響が見られる見込。

・次の誕生日(8月生まれ)を迎えるのは難しく、後どれくらいとは言えないが、7月中であり、今夜でも明日でもおかしくない。

・これからの過ごし方について、家族等向けの話をします。

・本人の会いたい人に会っていたほうがいいので、連絡してください。

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これからの過ごし方について

訪問診療医師は、『これからのの過ごし方について』というタイトルの冊子を使いながら、丁寧に、心から説明してくださいました。


【看取りのパンフレットとは】

看取りを前提とした時のご家族へのパンフレットです。

からだに起きてくる変化、

苦痛が増えたときの対応(鎮静など)、

回復困難なせん妄(混乱など)、

自然喘鳴(喀痰がのどでゴロゴロいうこと)、

輸液について、

ご家族の心配にそって説明しています。



本人から医師に質問

『あとどれくらい生きられるか?』

輸血(赤血球4単位)が完了して、

訪問診療医師が帰る前に、

本人から医師に質問が有りました。


夫はかすれた小さな声で

『私は、あとどれくらい生きれますか』


医師は少し間をおいて

『分からない』と答えました。


ただ、もう長くないことは本人も気がついています。


また、夫が輸血していた隣の部屋で

【看取りのパンフレット】の説明を医師が行ったので、耳の良い夫は、その話を聞こえていたがもしれません。


私から夫に『会っておきたい人はいますか?』と聞いた所、

夫は一生懸命答えました。

『まずは両親、そして会社の社長と営業部長(この方は夫の新卒で入社した会社の同期入社で、現在の会社に誘ってくださった方)』と言いました。


その夜3組面会

訪問診療医師がお帰りになった後、

地方にいる両親と会うためには実弟に連れてきてもらうう必要が有り、実弟に連絡しました。

また、会社社長と営業部長に連絡し、

その他に、夫が病気になって以来会えていなかった私の父と弟に連絡しました。


この日夕方〜夜に、

3組とも面会に来てくれました。


【18時に私の弟が到着】

私の父は87歳と高齢で、私の夫に会いたいが自分自身が退院直後で、現在も何種類かの病気で通院しているのと、その他に腰も痛めており、急な外出をすると現場での思いがけない事故等で迷惑をかけてしまう可能性があるため面会は辞退しました

■実は夫と私と父の3人で、

2回旅行した事が有り、

夫が病気しなければ、

今年5月頃平泉に3人で旅行を計画していました。

夫と私の父は仲良しなので、

父は面会できないのを、とても残念に思っています。

弟は夫の病気以来、

夫が病気の事を知られたくない人だったので面会を控えてくれていました。

私が夫にかかりっきりの中、弟が父の通院付添や、家事サポートを行ってくれています。

世界の中でも超有名な外資系企業で重要な役割を任せられている弟にとって、仕事との両立はとても大変だと思いますが、こなしてくれています。

弟には感謝の気持ちで一杯です。

弟はこの日も多忙の中、急でしたが最後になるので、駆けつけてくれました。


夫は弟に『(私の)これからのこと、よろしくお願いします』と声をふりしぼって言いました。


【19時半 会社社長と営業部長が到着】

夫は、新調した眼鏡をかけて、緊張した面持ちで待ちました。

そして、会社社長と営業部長の前では、

さっきまでの弱々しさを見せず、

精一杯元気な態度で接しました。


社長と営業部長には、常々夫の病状をお伝えしていました。

この日、夫が行った仕事(まちづくり。不動産開発)の、その後の風景が、

住宅建築だけでなく、

実際そこに住まれた方々や、

成長した植物等、

プロのカメラマン撮影の写真をまとめた物を、

パソコンを使って面会時に、

社長の解説付きで見せてくださいました。


お互いに感謝の気持ちを話すことができて、とても価値ある時間となりました。


夫は長らくの社会人生活の中で、

最後勤務したこの会社での仕事が、

最も内容が充実し、 

やりがいを感じていました。


社長からの高い評価もいただいていて、

感謝の気持ちを伝えていました。


仕事ひと筋の夫にとって、

人生で最も大切な時間を過ごせた場所でした。


【21時半 夫の実弟が自動車運転し、両親を遠方から連れてきてくれた】

父は92歳、母は今年87歳です。

母は、実家の地下水をペットボトルに入れて持ってきてくれ、

夫はその水を喜んで飲みました。


実家で過ごしたのは18歳までですが、子供の頃の思い出話など、お名残惜しく父はなかなか、その場を離れようとはしませんでした。


幻視(せん妄)

会いたい人に一気に会うことができた夫は、

疲れたのも有り、

この後見るからに状態は悪くなります。


この日の夜は、

一晩中眠れず、幻視を見て苦しいようでした。

少し前から、幻視が有ったようですが、この日から症状がひどくなりました。


スピリチュアルペイン

翌日の2024/7/3

スピリチュアルペインに苦しみました。


膵臓癌が分かって、

特に余命宣告の有った12月頃から、

少しずつスピリチュアルペインはありましたが、ここに来て一気に悪化しました。


スピリチュアルペインとは、

訪問診療医師の説明では、

人は、現在があって、同然のように過去と未来がある中で生きているが、

未来が無いと分かった時に、

人は今までの心持ちでいられなくなり、苦しむ。とのことです。


この日19時過ぎに訪問診療医師が到着しました。

緊急対応で到着が遅くなりました。

夫と私は、今の辛い気持ちを先生に話そうと決めていました。


夫は『トイレも自分で行けなくなって、時間の過ぎるのがすごく遅くなって、もう生きている意味がない気持ち。生きているのが辛い』と言いました。


訪問診療医師は、

夫の気持ちに、寄り添ってくださり、

苦しみから逃れる一つの方法として、

『昨日会えた人への手紙を書く』

(それをすることにより、スピリチュアルペインを和らげる)

という提案が有りました。

それ(手紙を書くにあたり)のお手伝いもできる。

とおっしゃってくださいました。


夫は『考えてみます』と答えました。


この話の後、

中央区佃の花火が(近くないのですが)、

自宅マンションの窓から見えました。

介護用ベッドの高さを最高にして、

部屋の照明を消して、

先生と夫と私の3人で花火を見ました。


私は、夫の膵臓癌が分かってから今まで

夫の病気のことで泣いてなかったのに、

一気に涙がこぼれて、

それをさとられないように、

隣の部屋のリビングで短時間泣きました。


涙をふいて、夫と先生のいる寝室に戻りました。


前日夜は、夫も私も一睡もできなかったので、今夜だけでも眠るためのお薬の相談をしました。

夫が大学病院緩和ケア病棟退院時にもらった薬で、余っていたデエビゴ5㎎(睡眠状態へ移行させ睡眠障害[不眠症]を改善する薬)を、

夫と私はこの夜飲んで寝ました。

二人共ぐっすり眠れ、今、朝を迎えています。

『氷を入れてシュワシュワのコカ・コーラ飲みたい!』 

と夫からリクエストが有り、

昨日の夕方、私は速攻コンビニに走りました。