昨日の今日ではあるけれど、昨夜「それでは、これならどうだ!?」と問われているような体験をした…。


駅のホームの隅で騒いでいる男女2名ずつの学生がいた。

何を騒いでいるのだろう?と思いつつも、別段気にも留めなかった。


その数分後、定刻通りに電車がホームに入ってきた。

定位置に止まるのを足元の枠内で待っていると、例の学生達があわや接触するのではというくらい電車スレスレをふざけながら駆け抜けた。

電車はあと数メートルで定位置というところで、緊急停止!

「危ないじゃないか!!」

血相を変えた運転士が電車から降りてきて叫ぶ。


学生達はその運転士の声を聞きながら笑っていた。

「うけるぅ~キャハハハッ!」(特に女子2人)

電車待ちの大勢の乗客の視線すらも楽しんでいるようだった…。


無性に腹が立った。

こんなに憤慨したのはいつ以来だろう!?

敵意!?

それ以上のものかもしれない。


大勢の乗客の安全を守らなければいけない運転士の悲痛な叫びが耳に残る。

その気持ちを考えたら、憤りはますます募る。

どれだけ学生達に一言言いたかったか!

それでも、まもなく運転を再開した電車に乗車することを選んだ。

この電車に乗らなければ、待ち合わせの時間に間に合わないから…。

(もっと言えば、大勢の乗客の視線が気になったし、暴力沙汰になることを恐れた気持ちも正直あった)


その後30分以上にわたって、後悔の念に駆られた。

あれはやはり良からぬ選択だった。

あの後彼らを注意する“大人”はいたのだろうか?

大勢の人に迷惑をかけておきながら(発車時間が遅れた)、

また、運転士を精神的に追い詰めながら、

万一何の咎めもなくやり過ごしてしまったら、彼らにとって絶対によくない!

“大人”を、ひいては“社会”をなめてしまうだろう。

もしかしたら、彼らだって後悔していたかもしれない。

それを認めさせるうえでもきっかけが必要だったはず。


ふと、昨日ココで書いたことを思い出した。

この出来事は、分かったような気になっていた、ある意味自惚れた自分に警鐘を鳴らしたのでは!?

「これならどうだ!?」と…。

想定外の出来事に大いに考えさせられた。


せめて、運転士の方にだけでも、声をかけたかった。

「これからも頑張ってください!」

自分にとってマイナスのエネルギーを与えていると思われる他人の言動に対して、最近比較的冷静に対応出来るようになってきたと思う。


もちろんその言動の源にある感情を100%理解出来るわけではないけれど、それにどう対応するかということは自分次第!

確かに、少なからず心は乱されるけれど、自分にとっての「意味」を考えると冷静になれる。


すべてはその時点における自分への課題―。

ひとつひとつをしっかりクリアしていかないと!


感情的になってしまえば楽なのに…と思うこともあるけれど、それでは今まで歩んできた道程を逆行するようなものだから、それだけは選択肢からはずそう!と心に決めている。

落ち着いて他人の気持ちに思いを馳せると、少しは理解出来るような気になることもあるし…。


ようやくそうした作業が自然に出来るようになってきたか…??

ちょっとした怠け心が頭を擡げ、それに抗うこともせずに時間が過ぎた…


やはり!?

後悔先に立たず…


あ~、とても楽しみにしていた“機会”を逸してしまった。


こんな思いをすることになるなんて…

実は、なんとなく気付いていたんだ…


―ケッカニハゲンインガアル―

「胆管(もしくは胆嚢)癌です」


母になされた癌告知は、拍子抜けするほど呆気ないものだった…。


過労か?
一年程前、「疲れた疲れた…」と頻繁にマッサージに通うようになっていた母が、黄疸で緊急入院した。
その時点で「もしかしたら…」と、付き添った父は医師から告げられていた。
精密検査の結果が出るまでは、「まさかそんなはずはない…」と願いつつ、落ち着かない日々が過ぎていった。
「最悪の検査結果が出たらどうしよう…」と思いつつも、あくまでも楽観的に考えるようにしていた。
最悪のケースを想定したくはなかった。


いよいよ精密検査の結果が出る日―。
誰がそれを聞くのか?
万が一、最悪のケースだった場合、母がいたら都合が悪い。
父と自分で聞くことにした。
ところが実際は、なし崩し的に(?)母も含めて3人で聞くことになった。
この時点で自分は「母も一緒に結果を聞くのなら、最悪のケースは免れたのかな…」と勝手に解釈し、安堵していた。


検査結果の説明が始まった。
「えっ、こんなところで?」ナースセンターの一角のようなその場所は、結果がたいしたことなかったのかと思わせる。
ただ、回りくどい…

なかなか病名が告げられない。
「まさか…」と思いつつも、嫌な予感がよぎり始めた。
母の様子を気にしつつも、引き続き医師の説明に耳を傾ける。
医師の説明は続く…。
肝臓や胆嚢や胆管等患部の絵を交え、延々と説明していただいた結果、医師の口から出た病名はとても信じ難いものだった。


「胆管(もしくは胆嚢)癌です」


「えっ、こんな重大なことがこんなに呆気なく告げられるのか…」

「ドラマなんかではもっと大袈裟な演出があるべきところでは…」

実際にその言葉を耳にしても現実感は薄かった。
無意識に拒否反応が起きたのか…

受け入れたくなかった。

「母は大丈夫か?」
意外にも落ち着いて聞いていた…ように見えた。
その後、医師からは、その病院ではもはや手術が出来ない状態であることや、それ以外の治療法(延命法?)についての説明が続いた。

母の様子が変わってきた。
震えがきたのか、椅子に座っていられない…
ひとまず病室に戻ることに。
病室に戻る廊下で、「手術はしないからね!」と何度も繰り返す母―。


病室に戻ると、心配してくれていた同室の患者さん達が迎えてくれた。
取り乱す母…

パニック状態!?
いずれにしても、こんな姿を見たことはなかった。
どうしていいのか分からなかった…。
「自分はイイの!でも、お父さんが…」
泣きじゃくりながら母が繰り返す。
ことここに至ってなお、自分のことより家族を心配する母―。
涙が溢れそうになった。
自分も父も母に話しかけるものの、母に届く言葉が見つからない。
結局、同室の患者さん達に救われた。

この人達の声は母に届くらしい。


少し落ち着きを取り戻した母を残して自分と父は、医師の元に戻った。
「何で事前に自分達に相談せずに母に直接告知したのか?」
それとなく医師に訴えたものの、今さらどうしようもない…。
今後のことを話し合った。
いずれにしても、手術以外に根治を目指す治療法はないこと、そして、その可能性がかなり低いことを告げられた。
対症療法の説明も再度受けたが、あくまでも延命措置に等しい。
「これで1年もった患者さんもいる」と言われても…!
仮に手術ということになれば、悠長に構えている時間はない。
癌は刻々と進行していく。
幸いなことに、その医師が国立がんセンターに勤務経験のある人だった。
紹介状を書いてくれるということになり、後日セカンドオピニオンを求めに出向くことにした。


病室に戻る。
母と何をどのくらい話したのだろう?
自分達が帰り一人きりになった母のことを思うと、病院を出たくはなかった。
後ろ髪を引かれる思いで帰路に着いた。


その晩からパソコンに向かい、胆管(胆嚢)癌について調べまくった。
調べれば調べる程、絶望感は募る。
一方、掲示板等で同じ境遇の人達がたくさんいることに驚かされた。
いや、知らなかっただけだったんだ…
こんな思いをしている人達は全国に大勢いたんだ。
知らずにノホホンと無邪気に過ごしていた自分が嫌になったりもした。


祖父母を早々に亡くしている自分にとって、初めて現実感を伴った肉親の“死”の予感…
向き合いたくない現実…

それでも目を背けるわけにはいかない日々が始まった―。

貴方の目に溢れるその涙―。

それは想像を絶する努力をした者だけが流すことを許される涙―。


自分は貴方がどれだけ頑張っているのかを理解している。

ただ、残念ながら、その目標を達成するにはこれからも様々な困難に遭遇するだろう。

悔しい思いも、もどかしい思いも決して解消することはないだろう。


自分は貴方にこれ以上「頑張れ!」とはとても言えない。

そんなことを言わなくても、貴方が頑張ることを知っているから。


それでも、たまに「辛いよ…」と口にすることは決して恥ずかしいことではない。

いつでもココに来て!いくらでも話を聞くから。



貴方の努力に自分も身の引き締まる思いがした。

自分は果たしてあんな涙を流せるだろうか…

昨夜時間があったので、友人から貰った『アナザヘヴン』のDVDを観た。


事件は満月の夜に起こった…
紫の石…


導入部分に興味を惹かれ、一気に観てしまった…11話。
いくら時間があったとはいえ、全部観てしまうとは…これも月の力?


…なわけはない。
意志が弱いっていうか…
場当たり的な生活が露呈したっていうか…
予定を立てていないとしばしばこういう事態に陥る。
悪い癖!?


そういえば、先日も深夜放送していた『24』の再放送で同じような状態に陥りそうになった。
それこそ、先のストーリー展開が気になって止まらなくなりそう…。
「いずれDVDでも借りて観よう…」と、その時は冷静になれたけど。


連続ドラマや映画を一気に鑑賞するのは、まぁ、ある意味“気分転換”と言えなくもない。
一種の思考停止状態…というか、頭を空っぽに出来る気がするし。
ただ、いずれにしても、「今日は全部観る!」と自分の中で予定を立ててから観た方がきっとイイ。
今回のような見方は若干の後悔&反省の念を喚起させる。


そうそう、ドラマの感想を…

とも思ったけど、

昨夜出来なかった分、先にやるべきことが…自業自得…

昨日観た新日ドームに関して、もうちょっと…


というのも、アントニオ猪木氏のマイクパフォーマンスが気になって…

何はともあれ氏の口から“ジャイアント馬場さん”の名前が飛び出すとは。

最後の“ダァー”とも言ってたし、何か意味深…考え過ぎ??


猪木氏が登場する度に思うのは、「現在の新日本プロレスの悲劇は、現役プロレスラー“アントニオ猪木”がいないことだ」ということ。

そして、そのことを誰あろう猪木氏自身が認識して欲しいということ。

自分はアントニオ猪木というカリスマ性を備えたプロレスラーは嫌いではなかったけれど、何かというと現在の新日に口を出す猪木氏には好感が持てない。

まぁ、オーナーにそんなことを言ってもしょうがないし、自分の選択肢は「観ない」ことになるんだけど。


ただ、現役のレスラーが可哀想で…(って、余計なお世話だけど…)

何で現在の新日にそこまでこだわるのだろう?

金銭面や福利厚生といったごく現実的な面も少なからずあるのだろうか?

個人的には他の団体に移った方が活躍出来そうな選手って間違いなくいると思っているんだけど。

だからこそ、「今回のドーム大会の結果如何によっては大量のリストラを敢行する…」なんていう報道を見ると逆に楽しみになる。

次回の契約更改でどのくらいの選手が解雇され、その選手達がどの団体に参戦するのか?といった意味で。

身勝手な“いち”ファンとしては、飼い殺しされている(?)レスラーではなく、活躍しているレスラーを観たいわけだから!

(なんか同じようなことが野球界のとあるチームにも言えそう!?)


あと、まったく話は変わるけど…

昨日自分が観戦している席の前後で観戦していた人達が羨ましかった!

異様に盛り上がっていた。

その人達に比べて自分のテンションの低さと言ったら…

やはりプロレス観戦はかくあるべき!と思わされた。

実際にああいうふうに観ていた時期があったわけだし。

もちろん現在でも前回のノアの武道館等では盛り上がったわけだけど、技やテクニックに関しては観慣れてしまった感が否めない。

だからこそ、四天王プロレス全盛の全日やノアのプロレスはどんどん過激になっていってしまったのかも知れないと思うと…ファンとしてちょっぴり反省!?(断崖式の技等、選手の危険負担が大き過ぎる…)

ただ、彼らにノアのプロレスを観せてあげたくなった。

昨日の試合内容であれだけ興奮出来るなら、ノアを観戦したらどうなってしまうんだろう…って。

ノア贔屓に過ぎるかも知れないけれど、本音であることに間違いはない。


次回はノアの武道館を観戦予定。

初心に帰って(?)大いに盛り上がって来ようと思う。

気が早いか…

その気は全然なかったけれど、招待券をいただいたので、東京ドームまで新日本プロレス『闘魂創造~NEW CHAPTER~』を観に行って来た。
実は最近の新日本プロレスには魅力を感じない。
理由は…自分の中では割と明確なんだけど、簡単に言えば、どこに向かっているのか、何をしたいのかが分からないっていうこと。いや、おぼろげながらも垣間見えるその方向性が自分のプロレス観に合わないといった方が正確か。
実際、ドームに向かう道中、長州力の現場監督就任のニュースに触れ、「新日本って…?」の思いを強めながらも、いざ試合観戦!



………



………



あ~、川田選手に救われた…



…っていうか、レスナー強過ぎっ!
メインは思いのほか興奮した。



G1優勝戦以来の新日観戦だったけど、これでしばらくはないかも。

今、観たい団体は全日本プロレス!
基本的に今年はノアに絞って観戦しているけれど、最近パッケージとして充実している全日の興業は一見の価値あり!
川田選手がいないのは寂しいけど、現在の全日を一度観に行ってみたい。

とりあえずは、今日帰ったらCSで録画しておいたノアの後楽園大会を観よう♪
とりわけ、天龍vsKENTAが楽しみだ!
きっと期待を裏切らない“プロレス”が展開されていることだろう…
早速昨日のつづき…

昔から、ある意味「楽しむ」ことに罪悪感に似た感情を抱いていた。
それは、他人を犠牲にして…、或いは、社会的な責任を放棄して…いたからかも知れない。
どこかで「楽しむ」ことをもっと積極的に肯定したかった自分には、『「人生を楽しむ」という試練に挑戦している』という言葉は、救いにも通じるものだった。

そして、バランス—。
すべての答えはそこにある。
自分が何かを考え、行動する上で、常にキーワードになっていた言葉。
まさかこんな形で出遭うなんて…。
バランス感覚の重要性を再認識するには十分だった。

かくして、頭では『星の王子様』ばりに「大切なものは目に見えない…」なんて考えながら、どうしようもなく物質主義にどっぷり浸ってしまっている自分に辟易しながらも、明確な目標が見いだせた気がする。

自分にとって『生きがいの創造�』は、今まさに読むべくして読んだ本なのかも知れない。

楽になった…


バランスといえば…そもそもこのブログを始めた理由の一つは、自分の中でバランスをとるためだった。
仕事や日常の生活で人前にいる自分と、普段は見せない素の自分—。
自分の中で両方をしっかり意識して、バランスをとりたかった。
結果、素の自分を担うこのブログは、ともすると暗く重たい話題に偏ってしまいかねない(というより、既にそうなっている?)。
ただ、それは決して本意ではない。
けれども、嘘でもない。
さらなる目的のために、このブログはこれからもコツコツ続けていきたい…。

脱サラをする直前だったろうか…

信頼出来る先輩の薦めで『生きがいの創造』(飯田史彦著)を読んだ。

“現在をよりよく生きる”という点で、大いに共感し、影響を受けた。

あれから何年が経つのだろう?

その後も「生きがい論」シリーズは何冊か読んだけれど、

今回久々に「生きがい論」シリーズの新作に触れた。

『生きがいの創造Ⅱ』―。

思い切って踏み込んだ内容だった。

自分にとって事実かどうかはさほど大きな問題ではなく、

実際に現在をよりよく生きる上で、いつも胸に留めておきたい心温まる内容だった。


ここで、“「光」からのアドバイス”の一節を紹介したい。


「試練に挑戦するということの意味は、辛いことに立ち向かうということだけではない。
『人生を、いかに楽しむか』ということも、また『試練』のひとつなのだ。
『楽しみ』を罪悪として感じる者ほど、実は、『人生を楽しむ』という試練に挑戦しているのだ。
『楽しみ』そのものが罪悪なのではなく、『他人を犠牲にして自分だけが楽しむ』ということ、あるいは、『目の前の社会的役割を放棄して、楽しみだけに走る』ということが、罪悪なのだ。
大いに、『楽しい』と思えることをやりなさい。
すべての答えは、『バランス』という言葉の中にある。
『義務や責任』と、『自由や娯楽』との、バランスをとることに挑戦しなさい。
どの時代の、どの場所に生まれるかということは、その者の学びと深く関連している。
この時代の日本に生まれた多くの者たちは、このバランスに挑戦するため、そして物質主義とスピリチュアルなものとのバランスに挑戦するために、この国を選んだのだ。
楽しむことも、また『学び』のひとつなのだ。
楽しむこと、笑うことの大切さを、この国の者たちに伝えなさい」


今の自分に直接語りかけてきた(ような気がする)一節だった。

いつも何となく感じていたこと…


このことに関しては、改めて綴りたい。