シェルターについた私たちは夕飯もまだだったのだが、職員の方が買い物に行ってくれて簡単なご飯を食べれることになった。
私たちがきたシェルターは、アパートのような構造で玄関に職員が常に待機していて、周りは監視カメラに囲まれたような形のものだった。
最初は緊急部屋と呼ばれる部屋に通された。部屋はリビングと和室がある本当にアパートのような一室で、家具家電もそろっている場所だった。
実はⅮといるときも避難先としてシェルターの事を調べたりしていたが、なんだか怖いところとか閉鎖的とか、共同スペースしかないなど結構マイナス部分が多く書いてあったので、部屋に来たときはビックリしたことを覚えている。
しかし、ここはシェルターの中、基本的に外部との連絡は遮断される。もちろん来た時に電源の切れた携帯を職員に預けたのでだれとも連絡はとれないのだ。もちろん親も当然のごとく知る由もない。
子供たちはというと、一旦ゲーム機器も預かることになったので不満を漏らしていたが、Ⅾと離れて過ごす夜に安心したのかその日はすぐに寝てしまった。
わたしは、布団に入りながらも寝れずにいた。きっと今頃、家にいないわたしたちを必死に探しているⅮのことを思うとかわいそうだという感情が出てきていた。
この選択は間違っていなかっただろうか。やはり帰って謝るべき?
頭の中にグルグルと考えが押し寄せ、結局寝れたのは2時間程度。
朝を迎え、子供たちも起きてきた。『学校始まってるね。大丈夫かな?』
『パパが探しに来るんじゃない?』など話していると職員が話があるからと部屋を訪れてきた。
職員『おはようございます。眠れましたか?』とやさしく声をかけてくれる職員さん。
そして、このシェルターでの基本的な過ごし方を説明してくれた。
まず基本的に守られた場所であること。
今いる緊急部屋以外はほかの避難してきた方々が入居と言う形で住んでいること。
入居すると携帯などはGPSを切った状態で、持つことは出来るが安全のため知り合いからの連絡はブロック、もしくは無視や既読してはいけないことなど注意事項を教えてくれた。
まず、最初は休むことが大事なことと、あとはこの部屋からはあまり出れないが、ゆっくりしてほしいと言われた。
確かにⅮのことを考えることはあってもここにはいない安心感が私を満たしていた。
しかしⅮは離れていても私の中で根深く存在しているのだと、深く思うことになるのである。