Ⅾに見つかる前に急いで子供たちを迎えに行かないと!!
私はまず長男を迎えに行った。長男に『大事な話があるの。今から家に帰って少し荷物取ったらもう帰ってこない。ママと逃げることになる。一緒に来れる?』と聞くと、『分かった』と答えてくれた。
事の重大さは分からないだろうが、それでもついてきてくれることに安堵した。
時間がない中、家に着いた私は通帳と母子手帳、日ごろ飲んでいる薬などを手にした。
そして、テーブルの上にⅮのキャッシュカードと現金を少し置いた。貯金はあまり無くてせめて半分にしようと銀行から下した数万円・・・本当にお金なかったんだよなぁとおもう。
もう帰れない。着替えなど持っていく時間などなく早々に家を出た。
次にママ友宅へ行き『ありがとう~』と伝え子供たちを車に乗せた。ママ友は何かを感じたのか『何かあったらいつでも相談してね』と手を握ってくれた。
そのママ友の家を出てすぐに子供の携帯の電源を落とした。GPSがついているからだ。(私がこのママ友の家の近くで消したので当初はママ友が私を逃がしたのだと大変な騒ぎだったらしいあの時はあせっていました。)
のちに謝りに行くことになりますが、その話はまた・・・。
そして、警察の方々に付いていくときに母に電話をした。
『しばらく連絡が取れなくなるけど、子供たちも一緒にいるから心配しないでね』とだけ。
仕事場にも、1週間休みますとだけ伝えました。
避難先などはわたしも分からないがとにかくわたしも携帯の電源をおとした。
しばらく車を走らせると先ほどいた避難先への案内をする職員と合流した。
ここに来る間、下の子たちにも家には帰れなくなること。しばらく学校にも行けないこと。パパにも会えないかもしれないことを伝えると『いいよ。ママと行くよ。』と同意してくれていた。
警察官の方々が『我々はⅮさんの警戒をします。もし警察に来た場合も場所等など絶対に知らせません。また、DVの件もあるのでⅮさんにはお話を伺うことになると思います。』と。
警察官と別れを告げ、避難先へと車を走らせる。この先どうなるのだろう・・・不安な気持ちの中、心を和らげてくれたのは子供達だった。
『なんだか旅行みたいだね学校休みだしお菓子もあるし楽しみ~』
子供たちなりにわたしを励ましてくれていたのだろう。
ずいぶん走った気がした。ついに私たちは世間でいうシェルターと呼ばれる避難先へ到着した。
着いてすぐに、シェルターの職員さんへと引き継がれ、携帯は預かられることになった。世間からの遮断。シェルターの場所を特定されないためだ。
時間はもう夜だった。もう引き返せない。わたしは人生で大きな決断をしたんだと改めて感じたのだった。