于禁(うきん)
降伏もひとつの手だと思いますよ。
于禁ですが、魏に仕えた武将で法律を絶対視した人物です。
ある人物が、于禁の旧友であることを頼りに降伏してきたとき法に従って涙を流しながら処刑したこともあった
そうですが、このように法律を絶対視したため、あまり兵士・民衆の人望を得ることができなかったそうです。
しかし、名将とうたわれ人々からは一目置かれる存在だったそうです。
そんな于禁ですが、関羽との戦いの時に大敗し副将の龐徳 とともに捕らえられてしまいます。
龐徳は、曹操 への忠義を貫いて打ち首となりましたが于禁は降伏して助命されます。
しかし、結果的に于禁が降伏したことにより魏の数万人の将兵の命は救われたのでした。
その後、捕虜になっていた于禁は関羽が呉に敗れたこともあり孫権によって捕らえられますが、曹操が亡くなり
曹丕 が皇帝になると、魏に送り返されました。
曹丕は、于禁を表向きでは慰め曹操の墓を参拝させますが、そこには曹丕があらかじめ、関羽が戦いに勝ち
龐徳が憤怒して降服を拒み、于禁が降服したありさまの絵を描かせており、それを見た于禁は面目なさと
腹立たしさのため病に倒れ亡くなりました。
『三国志演義』では、龐徳の忠義を疑ったる、降伏の場面では惨めな命乞いをし処刑された龐徳の忠義心の
引き立て役として描かれていますが、于禁が降伏したのは魏の将兵を守るためだと思いたいですね。