このブログのテーマ「肛門スピリチュアル」


「肛門」って!

いきなり恥ずかしすぎる。


「スピリチュアル」って!

宗教じゃないの?あやしすぎる。


1年前に書き始める直前までは戸惑いもあった。書き始めてからも、名前変えた方がいいかなとか、思ったこともあった。


「肛門」にしても「スピリチュアル」にしても、あやしげなインパクトが強すぎる。


ただ、1年続けてきて、先日このブログを当初から読んでくださっている方から、こんなお言葉をいただいた。


馴染んできている


なんて、うれしいことだろう。

読み続けてきてくださった方に浸透してきたよろこび。


これがじわじわと拡がっていくイメージが湧いてきた。


「スピリチュアル」とはいうものの、実は魔法とか宇宙とか龍神さまとかは出てこない。


ただただ、「💩出したい!」を捉えて、私をトイレに連れていくことを実践し続けているだけである。


宇宙にお願いしたりしない。

いきなり変化が起きたりしない。


コツコツ日々の便意をキャッチして、💩を出し切るだけだ。


でも、この地味で地道な軌跡が奇跡だと思うのです。


これは一日たりとも怠ることはなく、続けられている。ものすごく強い精神力がなくても継続できちゃうところがありがたい。「排泄」は身体にとって核となる生理的欲求だから。


「便意が来ない」というのも、便意を捉える毎日の中ではっきりと💩が直腸におりてこないときがあると感じられるようになってきた。


毎日続けられるのに、毎日めぐらせるだけなのに、私は不具合を引き起こした。「出したい」より、自分が認められることの方を優先したからだ。


今では💩ほど優先すべきものはないと、言える(睡魔には勝てないときもある😅)。



💩を溜めれば、すべてのめぐりが滞ってくる。

💩がめぐれば、すべてのめぐりが拡大していく。


この真理を私だけで留めておくわけにはいかない。みんなでめぐりを拡大していってほしい。それが「弥栄(イヤサカ)」だと、信じて生きています。


このめぐりの拡大が日々の軌跡が起こす「スピリチュアル」的奇跡かもしれない。これも地味に地道にじわじわ拡大していくので、焦らないでね。


焦らないでね、と自分に言い聞かせてます😆

劇的な変化を欲しがっちゃうときがあるから。