自然な便意をキャッチする実験を初めて1年。
始めた当初は聴きのがすこともありました。
「私をトイレに連れてって」
この声の大きさは、1年前も今もそんなに変わっていません。
自然な便意を待つ実験は、今までだったらスルーしていたレベルの不快をつかむ感度をあげる練習だったのだと改めて気がつきました。
これは不快のみならず、快にも通じています。
五感をとおして、今までだったら気がつかなかった快感に浸れるようになってきたのです。
例えば、お茶を飲めばホッとするわけではなく、お茶を淹れるところから丁寧に行うことで身体が落ち着いていくんだなぁとか。
ありがたいなぁ、しあわせだなぁと感じる瞬間が増えてきたように思います。
鈍感になるということは、快も不快も感じなくなることです。「溜めるトレーニング」は、すべての感覚を滞らせてしまうのだと思いました。
窓から入る風を感じるだけで、なんだかしあわせなんです。以前はこういう時間を取ることさえ無駄だと思っていましたね。