今朝3:00すぎ、夫に「起きてみて」と声をかけられた。


何かあったのかな…と起きると、「窓の外見て」と。


ああ、お月さまでした。

昨晩は雲に隠れていたのが、ちょうど顔を出していました。


二人で眺めました🌕


それからまたすぐに雲に隠れてしまった。

もう一度、横になりながら、前にも満月のときに夫とやりとりがあったなぁと思い出す。


2018年の記事↓


このときも最終的にはお月さま一緒に見たのだけど、そこに辿り着くまでに紆余曲折してたなぁと思う。


それが今、夫の方から満月キレイだよと声をかけてくれた。


その後、雲に隠れてしまったから、3:00のあのタイミングでしか見られなかった。


なおさら、声をかけてくれてありがとうと思った。直接、「ありがとう」と伝えた。


ちょっとしたことだけど、とても感慨深い。


💩を溜めてたときは、私は夫に対して不満ばかり抱えていた。嫌いだったわけじゃないけど、時折もうガマンできない!って感情が爆発することがあった。


実際は私自身がスネて、こじれていただけなんだけど。


本当にイライラしてることが多かったと思う。


お腹が重いと気分も悪くなります。

💩が出てないと、不安も募ります。

出したと思ってても出残り便秘®︎だったら、下腹部は重たいままです。


通り道に💩を溜めてたら、イライラするの、今ならよくわかります。

💩が直腸におりてきて感じる重さがずっと続くわけですから。


便意って、ソワソワします。

鳥肌が立つような違和感です。

身体にとっては不快なんです。

その不快を排泄で快に転換します。


不快を快にしそびれると、便意は消えますが、不快の元である💩は肛門に残ったままなんです。


特別支援学校で勤務していたとき、言葉で意思を伝えづらい方がこちらの働きかけが原因でもなく不機嫌だなぁというときには、便秘気味であることが多かったなぁと思います。(もちろん、それ以外のこともありますが)


不快を身体に溜めていたら、不安定になるのもよくわかります。


2018年当時、一生懸命自分の感情や何やら学びつつ、幸せになるにはどうしたらイイんだろう?ともがいていましたが、いちばんに解決すべきは💩だったんです。


あのときはまだ、そこが核心だとは気づいていませんでした。その1年半後くらいから、便秘と内痔核が連動して調子悪くなり、ようやく気づくことができたのです。


2019年秋にあそこまで調子が悪くならなければ、なんとなく便秘や内痔核を抱えながらもそこそこ生活できていたら、今の私はいなかった。


不満いっぱいでイライラの自分が継続していたと思います。


そう思うと、本当に苦しかったけど、あのときの💩と肛門に「ありがとう」と心から思うのです。


満月を眺めて、結局早起きしたので、歩いてゴミを出しに行きました。月はすでに見えなくなっていましたが、空高く秋がやってきたことに気づきました。太陽の光が鱗雲を金色に染めていました。


ただただ、自然に手を合わせました。


ああ、💩スッキリ出せるようになってよかった。

ああ、生きててよかった。