どのように聖書を正しく解釈できますか(1)聖書の各書にある聖句を参照することはなぜ妥当なのですか | ヨハネのブログ

ヨハネのブログ

I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
I love Jehovah God and the Bible.
I explaine Bible
prophecies in my
Yohane no blog.

 

   聖書のある部分を理解するために、聖書の他の部分を参照することに抵抗を覚える人がいます。聖書は各書でそれぞれ意味が異なっていると考えるからでしょう。そして、そのように考える人は、基本的に聖書が全体的に調和をしているはずだと考えていないかもしれません。

 

  例えば百科事典のように大勢の筆者がそれぞれに異なる項目を書いて、それが一巻の本になっている場合があります。その時には、その百科事典の項目それぞれは、互いに矛盾している場合があります。しかし、聖書はそのような本ではありません。聖書は実際には、ひとりの著者によって書かれた本だからです。

 

 それで、聖書全体を理解するためには、聖書の各書をすべて参照することが必要であり、妥当であることをこの記事で説明したいと思います。

 

(1)人間をはるかに超えた知能を持たれる創造者おひとりが聖書全体の著者

 

 聖書は、ただおひとりの真の神の聖霊の影響を受けた書物です。新世界訳のテモテ第二316節には、「聖書全体は神の霊感を受けたもの」とあります。(テモテ第二3:16新世界訳)回復訳では、そこは「聖書はすべて、の息吹かれたもの」となっています。


 

 Biblehub30の英訳聖書の同じ個所を参照することができます。 Biblehubで確認すると、NIVではその部分は、"All Scripture is God-breathed となっています。Berean Study Bible  も、そこはAll Scripture is God-breathed ”となっています。


 

  Biblehub Lexicon(ギリシア語,ヘブライ語などの古典語の辞書)によると、God-breathed と訳されている部分のギリシャ語の原語は、θεόπνευστος (theopneustos) となっています。そして、ストロングのギリシャ語原語の字義は、”From theos and a presumed derivative of pneo; divinely breathed in.”となっています。


 

 ですから、確かに、聖書全体の聖句は、神が息を吹きこまれて書かれています。神が息を吹きこまれるのに用いられたのは神の聖霊です。例えば、ダビデは詩編の多くの部分の筆者になりましたが、主の霊はわたしのうちに語り主の言葉はわたしの舌の上にある。」となつています。(二サムエル23:2新共同訳)ですから、聖書の筆者たちは、神の言葉を語りましたが、彼らは、神の聖霊の影響を強く受けていました。



 

0david
ダビデは神の聖霊の影響を強く受けて聖書の一部を書き記した



 

 ですから、聖書の原文が書かれる時に、エホバ神は、その筆者たちに強い影響を及ぼして導かれました。聖書の真の著者は、エホバ神です。それで、聖書の真の著者であるエホバ神はご自分が作られた聖書全体を理解されているはずです。





 

0kjv1

書き記された聖書の記述の背後では・・・

 

 

0Jehovah's throne

天におられる創造者エホバ神が指導・監督・管理しておられた

 



 

 それで、神は約四十人の聖書筆者たちが自由に執筆することを許されましたが、それでもなお聖書が完成した時に、ご自分の目的とご意志が完全に啓示されるように取り計らわれました。聖書を解釈して、正しい理解に到達できるために必要な情報を含められました。

 

 ですから、わたしたちは、エホバ神により頼むならば、エホバ神から聖書に関する理解をいただいて、エホバ神が意図された程度までは、聖書を理解することができるはずです。


 

(2)聖書の理解できない部分を理解するために聖書の別の個所を参考にできる

 

 聖書は理解が難しい部分がたくさんあります。とりわけ、預言的な部分はそうです。どうしたらいいのでしょうか。ひとつは、それを理解するために、聖書の他の書の聖句を参照することができます。

 

 私たちは聖書を理解するために、自分自身に頼ると失敗します。神はわたしたちに自分の理解に頼るのではなく、ご自分により頼むように勧められています。箴言に、こう述べられています。「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3:5,6新共同訳)

 

 同じ聖句をNIVは、"Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understandingin all your ways submit to him, and he will make your paths straight.” と訳しています。(箴言3:5,6NIV)

 


 自分の分別またunderstandingすなわち、理解に頼らないとは、聖書を解釈しようとする時に、聖書の裏付けを持たない自分の先入観や常識に頼らないということを意味します。

 

 そして、「心を尽くして主に信頼」する、すなわち、わたしたちが”Trust in the LORD with all your heart゛ということは、聖書を理解しようとする時に、神に祈って聖書の言葉そのものに依り頼むことを意味すると思います。


 

0bible and prayer

神への祈りと聖書の他の聖句の参照によってエホバ神への信頼を表明することができます

 





 

 それ以外のどんな方法によって聖書を解釈するにあたって、神に信頼することができるでしょうか。

 

 さらに、イエスは、人間の伝統に固執して、神の言葉を退けていた一世紀の宗教指導者たちを非難されたことがありました。イエスは、「あなた方は,自分たちが伝えた伝統によっての言葉を無にしています。」と非難されました。(マルコ7:13)

 

 回復訳では、そこが「あなたがたは、自分たちが伝えてきた言い伝えによって、の言から権威を奪っている。」と訳されています。 NIVでは同じ聖句が、”Thus you nullify the word of God by your tradition that you have handed down.”と訳されています。

 

 ですから、ある宗教グループの「言い伝え」や「伝統」に頼ると、間違っている場合があるかもしれません。ですから、”the word of God”「神の言」聖書そのものの権威を尊重することが必要です。すなわち、宗教上の伝統や言い伝えは、聖書に照らして確認し吟味する必要があります。 伝統や言い伝えよりも重要なのは、聖書そのものがどのように述べているかです。


 

 それで、聖書の真の著者は真の神です。聖書の筆者たちは、自分たちに啓示されたことがらの一部分は理解できませんでした。例えばダニエルは自分に啓示されたことをかなり理解していましたが、一部については、「わたしには理解できなかった 」と認めています。(ダニエル12:8新共同訳)しかし、エホバ神は聖書の全体像を理解されているはずです。



 

0daniel1
ダニエルは自分に啓示されたことの一部は理解していたが全部は理解できていないことを認めた

 

0jehovah's throne1
しかし聖書の著者であるエホバ神は・・・

0NW_Black


 

0bible5










 

聖書全体を当然把握理解されているはず

 



 聖書の各書はエホバ神の目的とご意志の全体像を理解するために少しずつ貢献するはずです。それで、聖書の各書を理解するのに、その書だけを参照しているだけでは、不十分です。聖書の分からない部分を理解するためには、聖書の神の言葉そのものの他の部分を参照する必要があります。