啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(60)キリスト以前の神の僕は地上の復活 | ヨハネのブログ

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Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
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prophecies in my
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 第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)彼らは、大いなるバビロンとその同盟国を攻撃します。(ダニエル11:40,42。啓示11:8;16:19;17:16)
 

  おそらく、この二億の騎兵隊は、魂が死んでも存続して天国に行けると信じています。しかし、聖書によると、死んで自動的に天に行ける不滅の魂を人間は持ってはいません。聖書中の「魂」とは人間の肉体の体そのものを意味しています。ですから、人は最後には死んで滅びるという現状にあります。

 

 しかし、神はキリストの贖いの犠牲を備えて、人間に天での永遠の命と地上での永遠の命という二種類の命の見込みを差し伸べられています。しかし、キリスト到来以前の神の僕たちは、この地上に復活して地上でいつまでも生き続けるという希望を持っていました。今回はそのことについて論じたいと思います。

 

(1)神に従う人がこの地上にいつまでも住み続ける時代が来る
 

  聖書は人類の大多数が、この地上で永遠に生き続けることができる時代が来ることを約束しています。その約束は、天への復活という招待よりも、先に人間に差し伸べられました。詩編には、「主に従う人は地を継ぎいつまでも、そこに住み続ける」とあります。 (詩編37:29新共同訳)ですから、人間が天に行くということではなく、この地上で永遠に生き続けるという見込みが最初に神の僕たちに提供されていました。



 

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詩編には信仰の人がこの地上で住み続ける時代を約束している





 

 ですから、後程さらに説明しますが、アブラハム、ダニエル、ヨブなどは、将来この地上に復活して、この地上でいつまでも、住み続けるという時代が来るという希望を抱いていました。

 

(2)アブラハムは地上に復活できることを信じていた

 

 キリストが到来する前の古代の神の僕は、天に行くことなど考えていませんでしたが彼らは復活することを信じていました。それは、この地上における復活でした。

 

 例えば、アブラハムは、息子のイサクを神に犠牲として捧げようとしましたが、それは自分がイサクを殺したとしても、神がイサクを人間として復活させることができると考えていたからでした。アブラハムに関して、「彼はまた、死人の中からさえ人を復活させることができると考え 」たと記されています。(ヘブル11:19回復訳)

 

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アブラハムは神がイサクを
復活させることができると信じていた




 

 ですから、アブラハムが信じていた復活は、この地上に人間として復活するということでした。天への復活ということはアブラハムの頭にはありませんでした。

 

(3)アブラハムは自分の子孫による将来の土台のある都を待ち望んでいた

 

 アブラハムについてさらにこう書かれています。「信仰によって、彼は他国の地にいるように、他国人として約束の地に住み、同じ約束の共同の相続人であるイサクとヤコブと共に、天幕に住みました.なぜなら、彼は土台のある都を熱心に待ち望んでいたからです.その設計者と建築者です。(ヘブル11:9,10回復訳)
 


 

 アブラハムはどのような希望を持っていたのでしょうか。アブラハムは神によって作られる「土台のある都」を待ち望んでいたのです。

 

 アブラハムは生きていた間、天幕生活をしました。天幕生活というのは、家屋に定住するという物質的に安楽な生活ではなく、ある程度、一時的な生活でした。アブラハムは、自分が地上に生きている間の生活を重要視しませんでした。将来存在するようになる神が作られる土台のある都のもとでの生活を重要視していました。


 


 

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アブラハムは将来の
土台のある都神の国の支配のもとでの生活に希望をおいて天幕生活をした



 

 アブラハムは聖書を知っていたので、自分が死ぬと「塵に帰る」ことを知っていました。(創世記3:19新共同訳)アブラハムはエデンの園で、エホバ神が蛇である悪魔サタンに語った預言を知っていました。そこには、「女の子孫」は、「お前」つまり、蛇つまり悪魔サタンの「頭を砕く」ことが預言されていました。(創世記3:15新共同訳)



 

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アブラハムは女の子孫が蛇悪魔サタンの頭を砕くというエデンの園での預言を知っていた





 

 さらに、アブラハムは、神が自分に言われた預言を知っていました。「あなたの子孫の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」と神はアブラハムに言われました。(創世記22:17,18新共同訳)

 

 ですから、アブラハムは、自分の信仰のゆえに自分の上に神の目と是認があったことが分かっていたでしょう。それで、神が悪魔サタンに語った預言と、神が自分に言われた預言を結び付けて、自分の子孫が将来、蛇の頭を砕いて、地上の諸国民に祝福をもたらすことに希望を抱いていたでしょう。


 

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アブラハムは自分の子孫である蛇の頭を砕いて諸国民に祝福をもたらすことに希望を置いていた






 

 ですから、将来、神によって作られる自分の子孫も関係する神の国のもとで復活させられるという希望を抱いていたことでしょう。


 

 アブラハムは、自分の息子イサクが死んでも神は息子をよみがえらせることができると信じていたので、神が死人の中から自分を復活せることができると考えていました。しかし、アブラハムが信じていたのは、この地上に人間として復活することができるという希望でした。


 

 それで、アブラハムは神が将来自分の子孫によって「土台のある都」を作ってくださって、そのもとで自分が復活し、祝福を受けることができると考えていたと思われます。しかしながら、その「土台のある都」が将来天的な都になることをアブラハムが理解していたかどうかは分かりません。


 

 アブラハムが待ち望んでいた「土台のある都」とは、天の神のもとから下って来る「聖なるエルサレム」すなわち、神の王国でしょう。その都は「十二の土台」があったと啓示録に記されています。(啓示録21:10,14回復訳)すなわち、アブラハムが待ち望んでいた「土台のある都」というのは、聖なる新しいエルサレムとなることを神は後になって啓示されました。


    
回復訳の啓示録には、「聖なる都エルサレム」は、「小羊の妻である花嫁」であると述べられています。(啓示録21:9,10回復訳)ですから、「聖なる都エルサレム」は子羊イエス・キリストの{神の王国}に入る希望を持つ弟子たちを意味します。ですから、アブラハムが待ち望んでいた都とは、「神の王国」とみなすことができます。(ルカ6:20)

 


 




 

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アブラハムが待ち望んでいた土台のあるとは聖なるエルサレムである神の王国を意味していた






 

 確かに、ガラテア書には、「あなたがたがキリストのものであるなら、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」とあります。(ガラテア3:29)イエス・キリストは確かにアブラハムの子孫の主要な方です。さらに、キリストの弟子たちは、「アブラハムの子孫」ということができるのです。



 

 ですから、血のつながりのある生来のイスラエル人が「アブラハムの子孫」なのではなく、あらゆる国籍でなるアブラハムのような信仰を持つクリスチャンを「アブラハムの子孫」ということができます。すなわち、将来「神の王国」の支配のもとで、アブラハム自身は復活させられ、祝福を受けることになります。


 

 ですから、エホバはアブラハムに対して語られたアブラハムの子孫によって地上の諸国民を祝福するという約束を果たされることになります。



 

(4)ヨブは将来自分が復活させられることを信じていた

 

 ヨブも、同様に自分が神によって復活させられるという希望があることを言い表しました。(ヨブ14:13-15新共同訳)ヨブは自分が陰府に隠され、定めの時に、神が自分を思い起こして、呼んでくださる時を、待ち望むと言いました。その時、ヨブは神に答える、すなわち、復活することができるという希望を持っていました。ヨブはこの時、天に復活するとは考えていませんでした。



 

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ヨブは苦しみのあまり死んで将来神が自分を復活させることによって自分を呼んでくださることを望んだ




 

 そのことは次回詳細に検討しますが、バプテスマのヨハネ以前の人々には、天に行くという希望は知らされていなかったからです。

 

(5)キリストの贖いの犠牲にどのように感謝するか
 

 わたしたちはエホバ神が罪ゆえに死と滅びに向かうという過程から救い出す贖いの犠牲を備えてくださったことは、感謝するべきではないでしょうか。これは、地上で永遠の命を享受することにつながります。

 

  今年2019年の419()は、年に一度主の記念式を開催するべき日になります。イエスは、その日にご自分の死を記念して、ご自分の体を表すぶどう酒とご自分の血を表すぶどう酒にあずかるようにと命じられました。(ルカ22:19。一コリント11:24,25回復訳)


 

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神の王国に入る希望のあるクリスチャンは2019年4月16日の主の記念式にパンとぶどう酒の表象物にあずかります





 それで、天での将来の統治者としての希望、すなわち神の王国の成員となるという見込みが神により与えられていると考えるクリスチャンは、その日の日没後に、パンとぶどう酒にあずかることができます。

 

 そのようにして、エホバ神がキリストの贖いの犠牲を備えてくださり、自分たちや人類を死から救い出す手立てを準備してくださった事に対してエホバ神に感謝を表明することができます。また、キリストの備えてくださった贖いの犠牲に対する信仰を表明することができます。

 

 自分が神から与えられている希望が、この地上で永遠に生きる希望だと考えるクリスチャンは、「神の王国」また「天の国」に入る希望を抱くクリスチャンがパンとぶどう酒にあずかるのを見守ることができます。彼らもそのようにして贖いの犠牲に対する感謝と信仰を表明することができます。