第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)彼らは、大いなるバビロンとその同盟国を攻撃します。(ダニエル11:40,42。啓示11:8;16:19;17:16)
これらの騎兵隊の王は背教したキリスト教に改宗するので、騎兵隊の多くは、おそらく魂は不滅で、死後もそのまま天国に行く希望があると信じているでしょう。これは、聖書に基づいていない教えです。聖書は、魂とは、人間の肉体の体そのものであって、死んで塵になると教えています。
人間が死ぬと滅んでしまうという状況は、アダムがエホバ神に反逆した時に、生じました。今回は、そのことを説明したいと思います。
(1)アダムは創造される前は土の塵であって存在していなかった
人はもともと天の霊者であって、その霊者たちは、自分の罪のために、天から落とされて人間として生まれることになったと教えているキリスト教の団体もあるようです。そして、彼らは聖書の希望は、人間がもともといた天に帰ることだと考えています。しかし、そのようなことは聖書は少しも述べていません。
アダムは、地上のエデンの園に創造される前は、どこにも存在していませんでした。新共同訳でも、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。 」となっています。(創世記2:7新共同訳)彼は、創造される前は土の塵に過ぎませんでした。
アダムは創造される前は・・・
土の塵に過ぎず存在していませんでした
NASBでは、その聖句は、”Then the Lord God formed man of dust from the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living being”と訳しています。(創世記2:7NASB)
ですから、アダムは人間として生まれる前は、地面のdustであって天のみ使いではありませんでした。
(2)アダムは創造された時に初めて魂として存在し始めた
さらに、NASBで、being となっている語は、ヘブライ語原語は、לְנֶ֥פֶשׁ
で発音は、(lə・ne・p̄eš) で、ストロングの聖書用語索引のStrong's Hebrew 531では、”A soul, living being, life, self, person, desire, passion, appetite” となっています。(創世記2:7NASB)ここは「魂に」という意味です。
そのため、KJB(King James Bibl)e 、NHEB(New Heart English Bible)、JPS Tanakh 1917 、Jubilee Bible 2000、King James 2000 Bible 、American King James Version 、American Standard Version 、Brenton Septuagint Translation 、Darby Bible Translation 、Douay-Rheims Bible、English Revised Version 、Webster's Bible Translation 、World English Bibleなどの数々の聖書翻訳 では、同じ語を、a living soul と訳しています。
ちなみにこれは、エホバの証人の新世界訳と同じ訳し方です。エホバの証人の新世界訳では、“the man came to be a living soul” となっています。(Genesis2:7)
肉体の体を持つアダム自身が生きた魂でした
それで、また、聖書はアダムが創造された時に、アダムは土から創造された時に、初めて生きた魂として存在するようになったと述べています。 アダムの魂は、創造される前にどこにも存在していなかったのです。つまり、土の塵でした。天にはいませんでした。
(3)アダムはもし神に背かなければ地上で永遠に生き続ける見込みがあった
聖書には死ぬとき、自動的に天に行くという教えはありません。基本的に、死と滅びが結び付けられています。それは、聖書によると、わたしたちの最初の先祖であったアダムが神に不従順になったためです。(創世記3:6)
エホバ神はアダムにもし、「善悪の知識の木」の実を食べれば死ぬだろうと言われました。(創世記2:16,17新共同訳)このことは、アダムが神に不従順にならなければ、死なないですんだことを示しています。アダムには、もし、彼が神の命令に従順であったなら、この地上で人間の肉体で若さを保って永遠に生き続けるという見込みがあったのです。
アダムとエバは神に従っていればエデンの園で若さを保って永遠に生き続ける見込みがあった
(4)アダムの罪のためにアダムの子孫は罪人になり死ぬ運命となった
ですから、アダムが罪を犯さなかったならば、アダムの子孫にもこの地上で永遠に人間として生き続ける見込みがありました。しかし、アダムは善悪の知識の木の実を食べてはならないという神の命令に背きました。エバはその木からとって食べ、その実をアダムに与えてアダムも食べました。(創世記3:6)
Arnaud 25
アダムとエバは神の命令に背き罪を犯し神の支えと助けを失ってしまった
そのため、アダムは年を取って死ぬという過程が始まりました。エホバ神から支えていただいて永遠に生き続けることができなくなりました。アダムもエバも最後には死にました。(創世記5:5)そして、アダムの子孫も同じ状況をアダムとエバから受け継ぎました。
若さを保って永遠に生き続けるはずだったアダムは罪を犯した後・・・
年をとって・・・・
死んで滅びてしまいました
Larry Miller
アダムの子孫は生まれてきて大人になり、最後には年をとって死ぬという過程をたどることが普通になりました。しかし、アダムの子孫はその親から罪を受け継くという不利な状況にあります。新共同訳の詩編には、「わたしは咎のうちに産み落とされ母がわたしを身ごもったときもわたしは罪のうちにあったのです。」と述べています。(詩編51:7新共同訳)
私たちの母親は皆罪のうちに子供を胎に宿しアダムの子孫は皆生まれつき罪人
ですから、ダビデが自分の母が罪をもっていたので、母が自分を産み落とした時に、生来とがすなわち罪を持っていたと述べています。ですから、ダビデは自分の親から罪を受け継ぎ、生来罪を犯しやすい傾向を受け継ぎました。
アダムが最初に罪を犯したので、アダムの子孫は、生来罪を犯しやすい傾向を持つ罪人になりました。(ローマ5:19)そして、アダムの子孫は、生来罪人であるために、年をとって最後には死ぬという見込みしかなくなりました。そして、死とは滅びる事、存在しなくなることを意味しています。
私たちには皆年をとって死んでいくという前途しかない悲しむべき状況にある
(5)二億の騎兵隊が死ぬ時起こることは滅び
ですから、基本的に神に背いた生き方をする人に自動的に死んで天に行くという見込みがあるわけではありません。自分から貴重な命を無謀に投げ捨てて、死んでしまうようなことはするべきではないのです。
人類はアダムが神に罪を犯したために、死と滅びを経験することになりました。それで、死ぬと自動的に天に行くという希望は聖書にはありません。
人は死ぬと土の塵になり天国に自動的に行くことはありません
悔い改めずに人殺しをして、大いなるバビロンに対する攻撃に加わる二億の騎兵隊は、今の命を失うだけでなく、復活がないと考えられます。決して天国にはいきません。ですから、たとえ、大いなるバビロンに罪があったとしても、大いなるバビロンに対する攻撃を加わることは勧められることではありません。