啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(54ー2)魂は死ぬ【新共同訳】 | ヨハネのブログ

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prophecies in my
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    第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)彼らは、霊的なエジプトである大いなるバビロンとその同盟国を攻撃します。(ダニエル11:40,42。啓示11:8;16:19;17:16)
 

 これらの騎兵隊の多くは、おそらく、彼らは魂は不滅で、死後もそのまま天国に行ける希望があると信じているでしょう。聖書に基づいていないキリスト教の教えを受け入れていると考えられます。(ダニエル11:30,32)

 

 

 これらの騎兵隊が受け入れている教えは、まったく聖書に基づいていません。聖書は、魂は死ぬと教えています。今回は、なぜ無謀に戦って死ぬべきではないかを説明したいと思います。

 

 

(1)魂という語は死を迎えたり滅亡に近づいたりする 

 

 新共同訳では、「彼らのは若いうちにを迎え命は神殿男娼のように短い。」という節もあります。(ヨブ36:14新共同訳)ですから、人の魂は死に、若いうちに死んで短命なことがあります。ヨブ記には、「は滅亡に命はそれを奪うものに近づいてゆく。」とあります。(ヨブ33:22新共同訳)ですから、魂は滅亡します。 聖書は魂が不滅であるとは教えていません。


 

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人の魂は若くして死ぬこともあります





 

(5)魂は死ぬと自動的に神のもとに行かないので基本的に生きていることは感謝するべきこと


 

 また、詩編には、「敵はわたしのに追い迫りわたしの命を地に踏みにじりとこしえの死者と共に闇に閉ざされた国に住まわせようとします。」とあります。(詩編143:3新共同訳) ですから、魂は死ぬと死者と共になります。詩編作者にとつて、死ぬことは天の神のみもとに行くことではなく、闇に閉ざされた国に行くことで、できるだけ避けたいことでした。


 

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死ぬことは基本的に災いで望ましいことではありません

 



 

 すなわち、魂が死んで命が踏みにじられるとは、死者と共になる望ましくない事でした。ですから、新共同訳でも、魂とは死んだり滅びたりするもので、肉体の体の人そのものを表しています。(エゼキエル18:4,20口語訳)死ねばわたしたちは塵になり、何かを話したり考えたりすることはできなくなります。ですから、わたしたちが魂として生きていることは神に感謝できることです。



 

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Bill Branson
生きているということは基本的にいいことで感謝するべきこと



 

 

 

(6)騎兵隊が自ら命を無謀に投げ捨てるべきではない理由
 

  基本的に聖書は死ぬことは、災いであり、可能であれば避けるべきものであることを述べています。(ヨブ33:22。エゼキエル33:11新共同訳)ですから、魂は死んで自動的に天の神のもとに行くわけではありません。ですから、二億の騎兵隊は、戦って死ぬことを求めるべきではありません。

 

   自分から貴重な命を無謀に投げ捨てて、自分の命を短くするようなことは基本的に避けるべきなのです。イエスの場合は、熟慮のもとに人類のために、命を捧げられました。(ヨハネ10:18。マタイ20:28)イエスのように死ぬことによって人々が永遠の命を持てるようにするという意義あることを成し遂げられる場合は別でしょう。しかし、とりわけ、人殺しをするために、大事な命を犠牲にするようなことはぜひとも避けるべきことです。



 

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戦って貴重な命の魂を無駄に投げ捨てるべきではありません