第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)彼らは、霊的なエジプトである大いなるバビロンとその同盟国を攻撃しようとします。(ダニエル11:40,42。啓示11:8;16:19;17:16)この騎兵隊は主にイスラム教の背景を持っています。
これらの騎兵隊は、まったく聖書に基づいていないキリスト教の教えを受け入れていると考えられます。(ダニエル11:30,32)騎兵隊は、イスラム教にも似た教えがあるために、聖書から離れた教えを受け入れやすいでしょう。もともと、イスラム教では、イスラム教のために戦うならば、天国に行けると教えていたのです。
今回は、イスラム教にどのような教えがあるのか説明したいと思います。
(1)歓楽を極められるという来世の天国のイスラム教の教え
おそらく、二億の騎兵隊は天国に行くと言うことを信じているのではないかと思います。イスラム教のクムラーンの中に天国は歓楽を楽しめる場所であるという教えがあります。
「現世の歓楽は些細なものである。来世こそは、(アッラーを)畏れる者にとっては最も優れている。」(クルアーン4:77)「汝は視線を向けると至福の壮大な王国を認めるであろう。」(クルアーン 76:20)このようにクルアーンでは来世の天国を教えています。
クルアーンによると、天国は、緑なす木々に覆われ、果実は枝もたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、快適な風がつねに吹きわたっている清浄なところです。そして、天国行きを許されたものに対しては、アッラーの近くにはべり、織物をしいた寝床に寄りかかり、お酒は飲み放題、果物や肉は食べ放題で、美しく若い乙女が配偶者として与えられて報奨となるとされています。
クルアーン56章10節から24節『(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。・・・(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である。』
クルアーン56章27節から40節『(かれらは)刺のないスィドラの木、累々と実るタルフ木(の中に住み)、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。愛しい、同じ年配の者。』
(2)イスラム教のために戦死しても天国に行って報奨が与えられるという教え
また、イスラム教では、異教徒が、「イスラームの家」に対して戦争を仕掛けてくる場合、イスラーム共同体防衛のためのジハードがムスリムの義務とされています。さらに、ジハードで戦死すれば殉教者として最後の審判ののち、アッラーから報いを得、必ず天国に迎えられると約束しています。
例えば、防衛戦に従事する者(聖戦士)に対して、クルアーン48章16節では、「今にあなたがたは、 強大な勇武の民に対して(戦うために)召集されよう。あなたがたが戦い抜くのか、またはかれらが服従するかのいずれかである。だがこの命令に従えば、アッラーは見事な報奨をあなたがたに与えよう。」と述べられています。(クルアーン48章16節)
また、「およそアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない」となっています。(クルアーン47章4節) ですから、たとえ戦死しても、天国での来世の報いがあると教えています。ですから、イスラム教では、たとえ戦死してもイスラム教のために戦うようにと教えられています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD_(%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0)
(3)イスラム教ではテロリストに戦死しても天国で快楽を楽しめると教える場合がある
朝日新聞の報道によれば、今日でもイスラム教のテロを行なうために天国の教えが用いられています。14歳の少年が自爆テロ未遂をした件では、少年を勧誘するに当たり、「殉教すれば天国で72人の処女とセックスができる」と説いていたということです。イスラム教の指導者たちが、クルアーンに基づいてそのような教えを教えるようです。
ですから、イスラム教では、霊魂不滅の教えや天国の教えが殺人を行なうという間違った行いをするために誤用される場合があります。将来の二億の騎兵隊には、同じような教えが教えられていると考えられます。キリスト教の教会でも、普通聖書にない霊魂不滅の教えが教えられているからです。
(4)キリスト教の一般通念として存在する不滅の魂の教え
多くのキリスト教会でも、死ねばそのまま皆天の神のもとに行けるというような聖書にない教えが教えられています。例えば、Wikiの「魂」の項には、「ほぼすべてのキリスト教徒は、魂(たましい)は人間の不滅の本質であり、魂は死後に報酬か懲罰を受けると信じている。 」という記載があります。
さらに、Wikiの「霊魂」の項目には、「欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体(CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。・・・霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており・・・」とあります。
不滅の魂と体が分離するというのは聖書の教えではありません
それで、多くのキリスト教の教会で、魂もしくは霊魂が肉体に宿っており魂は不滅で死後に報いを受けると教えています。しかし、次回、説明する通り、そうした教えは聖書の教えではありません。
(5)聖書から離れた教えのために二億の騎兵隊は殺人をする
二億の騎兵隊は、イスラム教で受け入れていたのと同じような聖書から離れた教えを受けて入れていることでしょう。彼らは、その間違った教えのゆえに、恐れをしらない無謀な軍勢となることでしょう。ですから、聖書から離れた教えというのが、いかに苦く悪い実を産み出すかが分かります。
身体から分離する不滅の魂という偽りの教えのために・・・・
二億の騎兵隊は戦闘行為を行なう
私たちは、聖書の正確な知識を十分学ぶ必要があります。次回は、人が死ぬとどのようになるかについて聖書の教えを説明したいと思います。私たちは、それらのことについて、聖書に示されている教えを確認する必要があります。
それは、私たちの生き方、行動の仕方に影響があります。聖書から離れた教えは、私たちを大切な命を投げ捨てるような無謀な生き方に誘います。しかし、聖書の教えは妥当な範囲で、今の命を正しく用いるよう導きます。(箴言6:23)
聖書は私たちを命の道に導きます