油注がれたクリスチャンの兄弟と油注がれた姉妹の関係 | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
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 では、油そそがれたクリスチャンの姉妹は、忠実で思慮深い奴隷ではないのでしょうか。また、天的な希望を持つ姉妹は、天的な希望を持つ兄弟とどのような関係にあるのでしょうか。考えてみましょう。

 忠実で思慮深い奴隷に関するイエスのたとえ話は、マタイ2445節から51節にあります。イエスの言葉によると、イエスの忠実で思慮深い奴隷に対する任命は二度あります。一度目は、「召使たちに食物を与えさせるため」任命します。(マタイ24:45)二度目は、イエスの「すべての持ち物をつかさどらせる」ために任命します。(マタイ24:47)

 

 


 

 忠実で思慮深い奴隷に関するイエスのたとえ話は、マタイ2445節から51節にあります。イエスの言葉によると、イエスの忠実で思慮深い奴隷に対する任命は二度あります。一度目は、「召使たちに食物を与えさせるため」任命します。(マタイ24:45)二度目は、イエスの「すべての持ち物をつかさどらせる」ために任命します。(マタイ24:47)




 神の選ばれた者たちの中には、男性も女性も含まれています。ガラテア書には、「男性も女性も」キリストイエスと結ばれて一人の人」となっており、「約束に関連した相続人」であると述べられています。
(ガラテア3:28,29)



 
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聖書は男も女も神に選ばれすべてのものをつかさどる者として任命される機会があることを述べています




 ですから、女性も男性と共にイエスの「すべての持ち物をつかさどる」ことになります。ですから、忠実で思慮深い奴隷の中に女性も含まれていると考えることができるのではないでしょうか。


 イエスは、天の王国に入る成員を「自分のともしびをもって花婿を迎えに出た十人の処女」に例えました。(マタイ25:1)五人は「思慮深い者」で「自分のともしびを整え」て光を放ちます。(マタイ25:4,7)それで、天の王国に入る見込みのあるクリスチャンが「処女」となぞらえられているように、その中には、女性が含まれます。



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聖書は十人の処女のうち五人を思慮深い者と呼びました―五人の思慮深い処女には女性も含まれているのではないでしょうか



 さらに、彼女たちは、「思慮深い者」と呼ばれています。(マタイ25:2)その言い方は、「忠実で思慮深い奴隷」と同じ言い方をしています。それで、「忠実で思慮深い奴隷」と五人の「思慮深い」処女は同じ実体を表しているのではないでしょうか。


 

 ですから、聖霊で油そそがれた姉妹も、「召使いたち」また、「従者団」である地的な希望を持つ奉仕者たちに神のことばの「食物」を分配する働きをすると思います。(マタイ24:45。ルカ12:42)

 次に、聖霊で油そそがれた兄弟と油そそがれた姉妹の関係はどのようなものでしょうか。油そそがれた女性のクリスチャンは、初期クリスチャン時代にどのように振る舞っていたのでしょうか。



   一世紀にも預言をする女性がいました。フィリポの四人の娘が預言者でした。(使徒21:9)そして、「預言は不信者のためではなく,信者のためです。」という記述があります。(コリント第一14:22)



 また、「会衆全体が一つの場所に集まって」、「あなた方がみな預言しているところへだれか不信者または普通の人が入って来る」とあります。預言をしている「あなた方みな」の中には、姉妹も含まれていたでしょう。それで、会衆の集会で、油注がれた姉妹も預言をすることがあったでしょう。
(コリント第14:24)






 


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おそらく一世紀に女性はかぶりものをして会衆内で預言をしていたでしょう



 しかし、「女が教えたり,男の上に権威を振るったりすることを許しません。むしろ,静かにしていなさい。」とあります。(テモテ第一2:12)ですから、女は男の頭の権を認める必要があります。(コリント第一11:3)それで、聖霊で油そそがれた姉妹たちは、監督や奉仕のしもべにはなりませんでした。それで、集会で語る順番などの取決めは監督の兄弟が行なったと考えられます。


 しかし、初期クリスチャン会衆では、会衆の集会で、預言をしたり祈りを行なう油そそがれた女性は、頭をおおうベールか帽子のようなかぶりものをしていたと考えられます。(コリント第一11:5,6,10)



 さらに、もし、油そそがれた兄弟が油注がれた姉妹に、偶像崇拝をすることを求めても、姉妹は油そそがれた兄弟に従順を示すべきではないでしょう。油そそがれた姉妹が、第一に従うべきなのは、エホバ神です。


 また、もし、油そそがれた兄弟が聖書の忠実な解釈から離れたことを教えるならば、油そそがれた姉妹は、聖書の解釈が重大な結果を産むと考えるならば、そのことを黙っていないで、油そそがれた兄弟にその点を説明したり、他の人に教えたりするでしょう。そのようにして、聖書に霊感を与えた神に忠実を保つでしょう。(テモテ第二3:16)



 
油注がれた姉妹は神に不忠実になる場合は油注がれた兄弟ではなく聖書に従うでしょう


  イエスは、大勢の弟子たちが大声で神を賛美した時に、パリサイ人がイエスの弟子たちを叱るようにと言いました。イエスは、これらの従来の弟子たちが黙っているなら、「石が叫ぶでしょう」と言われました。(ルカ19:37-40)この叫ぶことになる石とは何でしょうか。

 イエスは、神は「石から」「アブラハムに子供たちを起こすことができる」と言われたことがあります。(マタイ3:9)また、イエスは「生ける石」は、「聖なる祭司職の霊的な家に築き上げられていく」と言われたことがことがありました。(ペテロ第一2:5)



Gilabrand at en.wikipedia
イエスは従来の弟子たちが神の真理を賛美しないならば神が石からアブラハムの胤を起こされることを示唆されました




  それで、エホバ神は従来の弟子が重要な真理を宣べ伝えて神を賛美しないなら、新たにアブラハムの胤、つまり霊的な祭司職を起こすこともできるでしょう。それで、従来のイエスの弟子たちが、神の真理について黙っているならば、神は油そそがれた姉妹を用いて、真理を叫ばせることもなさるでしょう。


 啓示の書の中では、油注がれたクリスチャンは、二十四人の長老たちと述べられています。彼らは、エホバのみ座の周りに、車座に座っています。(啓示4:4)二十四人の長老たちは、エホバ神が「王として支配を始められた」ことを神に感謝します。(啓示11:17)


 神の王国は、この事物の体制が存続している間に設立されるので、二十四人の長老は、この事物の体制が存続している間の天的希望を持つ兄弟たちと天的希望を持つ姉妹たちの関係も示しています。油そそがれた兄弟と姉妹のエホバ神の御前での立場は平等です。

   エホバ神は、ご自分の言葉に忠実な油そそがれたクリスチャンを用いられるでしょう。その点で、油注がれた兄弟も油注がれた姉妹も立場は同じです。家令に求められるのは、男性であることではなく忠実であることです。(コリント第一4:2)