伝道の書8章・義なる者であっても災いを経験する | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
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「邪悪な者たちの業に生じるかのような事態が自分の身に生じている義なる者たちがいる。義なる者たちの業に生じるかのような事態が自分の身に生じている邪悪な者たちがいる。わたしはこれもむなしいと言った。」(伝道の書814




東日本大震災で、命を失ったエホバの証人もいました。また、東日本大震災で命を失った人々の中には、悪いことを行なわないように、良心的に努力をしていた一般の人々もいたことでしょう。




聖書は冒頭の聖句にあるように、今の事物の体制下で、義なる者たちが邪悪な者に生じるようなことを経験することがあると述べています。確かに、伝道の書は、「邪悪な者たちは決して良い結果を見ること(が)な(い)」と述べています。(伝道の書813)邪悪な者たちは、神からの保護と祝福を受けていないので、良いことを経験しないことが多いでしょう。



しかし、聖書は冒頭の聖句にあるように、今の事物の体制下で、義なる者たちが災いを経験することがあると述べています。ですから、人々が災いにあうのは、それらの人々が神の目に邪悪であるからではありません。伝道の書は、義なる者たちの身に災いが生じることがあるという人生の現実を述べています。



伝道の書によると、「神を恐れる者たち」は、基本的に「神を恐れていたために良い結果になる」と述べています。(伝道の書812)例えば、ヨブは、神を恐れていたのに、全財産と、子供たち十人を失い、自分も病気になりました。けれども、ヨブは神の助けによって後になって病気も治り、十人の子供たちを持ち、以前の二倍の資産を持つようになりました。(創世記4210)



ヨブの例は、義なる者が最終的に良い結果を経験することを示しています。しかし、ヨブが一時的に、災いを経験したことは、義なる者であっても、邪悪な者が経験するような災いを経験することを示しています。



そして、義なる者であっても、寿命でもないのに命を失ってしまった人のことも、聖書に記録されています。例えば、ナボテは、モーセの律法に従うように努力をしていたので、先祖伝来の土地をアハブに売ろうとしませんでした。そのナボテをアハブの邪悪な妻イゼベルは、自分の思い通りにするために、策略を講じてナボテを殺してしまいました。(列王第一21811



また、一世紀には、義なる者であったクリスチャンの中にも迫害で命を失ってしまった人がいました。例えば、ステファノは、ユダヤ人の石打で、殺されてしまいました。(使徒75860)また、エルサレム会衆の中心的な長老のひとりであったと思われるヤコブは、剣によって殺されてしまいました。(使徒122



それで、聖書は、義なる者にあたかも邪悪な者に臨むような災いが臨むことがあることを述べていますが、それは聖書の歴史の記録によると真実です。また、それは、現代でも起きていることです。伝道の書の筆者ソロモンは、それを「むなしい」と言いました。それは、残念なことです。



しかし、聖書は、人類の中で少数の者たちは、死後報いを受け、天に復活して霊者になることを述べています。それらの人々は、たとえ迫害によって命を寿命より早く失ってしまったとしても、人類の大多数よりも早く天へ復活し、「死人の中からの早い復活」を受けます。(フィリピ3:11。啓示20:6)



また、人類の大多数にも、地上で人間としての復活が約束されています。聖書は「義者と不義者の復活がある」と述べています。(使徒24:15)それらの人々は、復活して神からの教育を受けた後の行いによって裁かれます。義なる者たちは、復活後、神からの教育に応じやすいでしょう。ですから、義なる者たちは、復活して、地上での「永遠の命」へ導かれる可能性が高いでしょう。(マタイ25:46)



しかし、聖書は現時点では、義なる者も、邪悪な者に臨むことが多い災いを受けることがありえることを述べています。ですから、人が災いを経験しているのを見て、その人を神の目に邪悪な者と断定するのは、間違っています。また、義なる者が苦難を経験するのは、神によるものではありません。



しかし、長い目でみれば、神の律法に従った正しい生き方をして、義なる者となる努力を払うことは、報いがあり、賢い生き方だと言えます。