根本 沙璃(さり)です。
「わがまま」と
「あるがまま」。
似ているけれど、なんとなく違う
この言葉には、大きな違いがあります。
それは、
「わがまま」は
自分さえ良ければ他はどうでもいい
という思考。
「あるがまま」は
自分の快を大事にするし
他の人の快も尊重する。
ここに違いがあります。
わがまま、が悪いわけではなく
わがままは、愛の範囲が狭いのです。
愛の成熟度が未熟とも言えます。
「わがまま」は、小さな子どものうちなら
かわいいものですが
大の大人になっても、そうだとしたら
その人の潜在意識には、ある観念があります。
「私は、愛されない」
という観念。
本人は、無意識の領域で、自分は愛されない
ということを信じ切っているので
満たされることがありません。
まるで穴の空いたバケツに水を
注ぎ続けるように、
自分の中に、不足感を抱き続けています。
だから、周囲のことまで意識を
向ける余地がいつまでたっても
出てこない、というわけです。
その、バケツの穴=私は愛されない
という「幻想」に気付けば、穴は埋ります。
すると、「あるがまま」の生き方になります。
まず、自らを満たす
自分が自分を大切にする
自分を受け入れる
ということを推奨しているんですが
今まで、ガマンや自己犠牲をいっっぱい
してきた方ほど、次の疑問が生まれます。
「自分を大切にすること」と
「わがまま」に生きること
の区別がつかない。
自分の快を求めると、周囲に迷惑を
かけるのでは?
ここで、はっきり言おうではありませんか。
そのように、周囲のことまで意識を
向けられる方が、「わがまま」なはずがありません。
だから、ここで迷う方には、オススメしたい。
「自分なりにわがままかも・・・」
と思っていることを、やってみませんか?
言ってみませんか?
そして、そこでの体験を糧にしていきましょう。
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