先日、「周りの5人が大切」というブログを書いたそばからその真逆みたいなテーマです💦
いえ、基本は周りの5人が大切。本当にそう思っています。
が、先日社会学者の宮台真司さんの動画を見て、あ、なるほどそういう考え方があったのか!と思うことがあったのでシェアします。
宮台氏は、日本の教育現場がよろしくない(ご存知の方も多くいらっしゃるでしょうが、宮台氏はかなり品の良くない日本語を使われます(笑)「よろしくない」という表現は私による大変換です)からと、最近海外へ移住する若い世代が増えているという文脈に絡めて、
「いや、それは違う。最悪な環境は、最高の社会科の勉強なんだ」とおっしゃいました。ご自身も、校内をバイクが走り回るようなめちゃくちゃな学校へ通った経験がおありで、でもその学校からは東大現役合格者が100名ほど出ていたのだそう。
確かに、最悪な環境を経験した人(それがどのようなジャンルであっても、その人にとって「あのころは最悪だった」という経験という意味で)はその分人としての経験値が豊かになり、その学びがそのあとの人生で生きてくることは多くあると思います。
「でもそこには一つ外してはならないコツがある」
と宮台氏はおっしゃいます。
つまり、きちんと周りが「ここは最悪な環境だぞ、行ってこい」と送り出せるかどうか。
これ、難しいですよね・・・💦
子どもが通っている学校を「さあここは最悪なところだぞ」と断言するのも難しい。そう言い切れるほど最悪でもないんじゃないかな・・・と親にも迷いが生じます。
その結果、なんとなく学校への不満や文句を抱えながらもはっきりと子どもには伝えず時間が過ぎていってしまいます。
「この宿題、本当に意味があるのだろうか」などと内心思いつつ、子どもには「宿題だけはちゃんとやりなさい」と真逆なことを言ってしまう。
「なんでやんなきゃいけないの」と聞かれたら自分もわからないので「なんでもでしょ!」とわけのわからない答え方💦
結果、子どもは最悪な環境にいてもそこから学ぶことも出来ないどころか、「こんなもんか」と思ってしまう。
私は長男に「なんでこんなに漢字やんなきゃいけないの」と聞かれたとき、「うーん、漢字練習って忍耐必要でしょ。あなたはとくにそういう習い事をしていないんだから、これ忍耐力鍛える習い事だと思ってやってみたら。意味を求めたら難しくなっちゃうから」と答えるようにしました。
そしたらですね、先日の学習発表会で堂々と「漢字練習には意味がない」というプレゼンをして度肝抜かれました。
なかなか難しい・・。
せめて小学校くらいまでは、親も子も「さあ今日も元気にいってらっしゃい!」と前向きな姿勢で学校に送り出したいですしね。
宮台氏のアドバイスは、中高校生くらいには通用するのかな??