未来志向で子育て~幸せな教育移住の旅

未来志向で子育て~幸せな教育移住の旅

妻の「家族で一緒に夕食が食べたい!」夫の「一斉授業じゃないところで教育を!」から始まった私たち夫婦の教育移住計画。行く先は一体どこに!?→2016年2月、群馬県に移住。7年過ごし2023年、カナダへ移住。猫が2匹増えて大移動。

子どもたちが一日7時間も過ごす学校という環境が、子どもたちの成長に影響がないわけない。世界はすごいスピードで変わっているのに、日本の教育は戦後ほとんど変わっていない。

これってちょっとまずくない?からスタートした夫婦の教育移住計画。公立小学校の教員だった夫は育休を取り、4歳と1歳の子どもたちと一緒に国内外の教育現場を見てきました。オランダ、シンガポール、マレーシア。首都圏をはじめとして和歌山、山梨、鳥取・・・。悩みに悩んだ結果、国内のイマージョン学校を選びました。そこに至った経緯と、教育について書いています。

6月末からこちらも夏休みがスタートしています。

 

9月から、長男はGrade10、次男はGrade7。
 

7月からそれぞれのサマースクールが始まり、普段より早起きの日々です💦

次男は2週間半、長男は1ヶ月間の自治体のサマースクール参加です。

 

カナダの夏休みはとても長いので、
こうして自治体が用意してくれる教育プログラムの存在は本当にありがたいです。

(予算の配分は自治体によって異なるようで、
うちの学区では、長男は無料ですが、次男は午前中のプログラムのみ無料で午後は有料となっています)

 

長男は毎日、自分の通う高校とは別の高校に通って、
朝8時15分から夕方4時半近くまでフルで授業を受けています。

 

来年好きな科目を取る余裕をつくるために、この夏を使って先取りに挑戦中。

取れるのは2教科までなので、Grade10の社会とGrade11の数学を
夏の1ヶ月で学び切るという、かなりハードな内容です。

 

一方、すでに終えた場合でも自分の成績に納得がいかなかった子たちは、
このサマースクールで同じ教科を再履修し、成績を上げることが可能です。

違う先生、違う教室、違うクラスメートと一緒に、もう一度学び直すことができるのは、
制度としてすごく柔軟ですよね。

 

ただ、実際には半年間で学ぶ分量を、1ヶ月で終えるというカリキュラムなので、
毎週テストがあり、とても忙しそうではあります。

また、「やっぱり無理!」とドロップアウトしたい場合は、

最初の1週間以内であれば「なかったこと」と見なされ、

成績には影響しないとのこと。
そのあたりの柔軟さもまた、カナダらしいなと思いました。

 

一方、次男は「俺はとにかくスポーツがしたい」ということで、
午前はアルティメット(フリスビーを使ったチームスポーツ)、午後はバスケットボールを選択。

午前と午後の会場となる小学校が違うため、私と夫が代わりばんこで送迎の日々です。

 

高校生向けとは少し毛色が異なり、小学生向けのサマーキャンプは、

マインクラフト、アート、演劇、ウクレレ、iPadなど、楽しそうなプログラムがたくさん。

こちらはパンフレットからほんの一部を抜粋↓

 

 

 

ただし、サマースクールの枠に申し込むのはとても大変。

受付がスタートする時間になると、

地域中の保護者が一斉にホームページにアクセスするため
サーバーが落ちたり、なかなかつながらなかったり。

私も、スマホとPCを駆使して、静かな攻防の末にどうにか希望の枠を確保しました。

 

長男も次男も、せっかくの長いカナダの夏休みを
少しでも自分らしい時間として過ごしてくれたらうれしいなと感じています。

(通常より登校時間が1時間早く、また遠方のため、

親は通常の学校の方がよほど楽ですが💦頑張ります)

 

今通っている自治体のサマースクールの後には、他のサマースクールが始まります。

また次回、まとめます!

「これからはエンジニアが強い」「迷ったらCS(コンピューターサイエンス)を選ぼう」
そんな言葉をよく聞くようになってからかなりの年数が経ちました。

 

習い事ランキングの上位はプログラミング、
夏の塾やキャンプのテーマもSTEM(科学・技術・工学・数学)分野が大人気。

 

うちの長男も例にもれず、幼稚園の頃からスクラッチというプログラミング教材に夢中でした。
でもここ最近、テック企業を中心に、プログラマーの大量レイオフ(解雇)が続いています。

(リンクはIT大企業のリストラリストです。。。)

 

 

 

AIが瞬時にコードを書けるようになったことで、
「人がコードを書く仕事」の未来が、少しずつ揺れ始めているのを感じます。

 

それはカナダの移民政策にも影響していて、
これまで永住権取得の優先枠だったIT・デジタル系の職種が、
今後はその対象から外れることが今週発表されました。

(これは結構大きなニュースだと思います)

 

「とりあえずプログラマーになれば安心」
という時代は、静かにけれど確実に終わりを迎えつつあるのかもしれません。

 

けれど、うちの長男はというと、

日本の大学が開催しているAI関連のプログラミング講座に
カナダから遠隔で参加しているのですが、これがとても楽しいのだそう。

夏休みに入ったのに毎朝6時前には起き出して、PCに向かって講義のアーカイブ動画を見たり、

コードを書いて走らせたり黙々と作業しています。
 

時代の流れを読むことももちろん大事。

けれど、何よりも「本人が楽しいと思えること」に没頭している彼を

うらやましく思います。

(そんな彼の横で、母親の私は「ああまた課題か」「ああまたテストか」とうんざりしながら

PCを開く日々。学びに対するこの姿勢の違い。。。)

 

情報も選択肢もあふれている今の時代だからこそ、
「何を学ぶか」よりも「何に夢中になれるか」の方が、きっとずっと大事。

 

“学ぶことって楽しい”という感覚を体験すること。

これこそが、先が見えない時代を彼なりの力で歩いていく原動力になるのではないかと思っています。

 

「義務感(=やらされ感)」がモチベーションになった途端、きっとこの前向きな

学びは止まってしまう(私・・)

だから今は、「何を将来の職業にすべきか」や

「この分野は食べていけるか」といった正解探しよりも、
目の前にある“楽しい”という気持ちを大切にして進んでいってほしいと思っています。

 

この先どんな時代が来るのか、AIがどれだけ進化するのか、
正直、まったく読めません。

 

でも、「好きなことに夢中になれる力」だけは、
どんな時代でもきっとその子の背中を押してくれるはず。

 

技術や知識のアップデートはAIがしてくれても、
心からワクワクして学ぶ気持ちだけは、人間にしか持てないものだから😊

イラン、イスラエル、ガザ地区。

一旦は落ち着いたものの、こうした戦争や紛争の報道には本当に胸が痛くなります。

(イランのテヘランには30年来の友人が住んでいるのですが、爆撃のニュースを見て焦ってすぐに連絡をとり、一週間ののちやっと無事が確認できました。。。怖かった💦)

 

でも日本の日常の中では、世界情勢や紛争のニュースを見ても

どこかしら遠いところで起きていることという意識が抜けなかった気がします。


カナダに暮らすようになって、その「距離感」は大きく変わりました。

子どもたちのクラスにも、私自身のクラスにも、イランやアフガニスタン出身、ウクライナからの難民の家族など、いくつもの背景を抱えた人たちがいます。
 

ニュースで報じられる争いも、毎日隣に座っているクラスメートの家族や故郷とつながっていると考えると、途端に「遠い世界」ではなくなります。

「○○君のじいじとばあばは大丈夫かな」
世界のニュースにより敏感になり、日々の会話の中で自然とそんな会話が出てきます。

「爆弾投下により、一般市民を含むたくさんの被害者が出ました」といったような報道は突然重みと真実味を増して、その国から来ているクラスメートの顔が浮かんでザワザワします。メッセージ送ってみようかな、いや、今じゃないか、でもそもそもなんで一般人が狙われるんだ?

 

私は次世代を育てる一人の親として、英語力アップ以上に、この「世界の問題を身近に感じることが出来るようになること」にカナダに来た本当の価値があると思っています。


今は、英語力を上げるだけなら国外に出る必要はない時代。

オンラインの力と本人のやる気次第で語学力は伸ばすことが出来ます。


でも、人との出会いや繋がりはなかなかこうはいきません。

Zoom会議と対面会議の大きな違いのように、隣に座って笑い合う経験からしか伝わらない体温は多々あるような気がしています。

 

ニュースの向こうにいる誰かが、「顔の見える人物」とつながるとき、
子どもたちの視界は確実に広がっていきます。

そして、それって彼らのこれからの意思決定にも影響し、世界の平和につながっていけば、と安直ではあるけれど願っています。

 


 

こちらは、印象に残ったハーバード大学2025年卒業生代表のユロン “ルアンナ” ジアンさんのスピーチです。
彼女は「Our Humanity(私たちの人間性)」というタイトルで、人と人のつながりの大切さを訴えました。

スピーチではこう語っています(全文は英文記事で公開されています):

“If there’s a woman anywhere in the world who can’t afford a period pad, it makes me poorer. … In seeing their humanity, we find our own.” westplanopresbyterian.orgharvardmagazine.com

彼女が伝えたかったのは、
「違う場所で生きる誰かにとっての出来事こそが、私たちの物語につながっている」
ということ。

異なる文化や歴史を持つ人との間に「境界線」はあるけれど、
それ以上に「共有できる人間性」という共通点が確かにある。

 

ニュースで見ているあの大きな出来事も、
身近な人の生活の一部として捉えられることで、初めてリアルな学びになる。

それは「英語」以上に、子どもたちにとって大切な経験なのだと思います。

カナダに来てから、日本では「当たり前」だったはずのことが、
実は「選べるもの」だったことに、よく気づかされます。

 

そのひとつが、「学校に行く」ということ。

日本では、「学校に毎日通う」のが当たり前。
行けないと「問題」とされ、周囲もなんとか登校させようとします。

私自身もかつて、日本の中学校で支援員として働いていたときは
不登校の生徒がどうすれば教室に来られるかを中心に支援をしていました。

 

当時の私たちのミッションは、
「少しでも学校に来られるようにする」こと。

まずは支援室に、その後頑張って教室に。

でも今思うのです。
それは本当に、その子のためだったのかな?と。

日本では、学校に行けないことは、どうしてもネガティブなこととして受け止められがちです。

でも、それって本当に“悪いこと”なんでしょうか。

 

脳の仕組みも特性も、感じ方もエネルギーの使い方も違う100人の子どもたちを、
ひとつのシステムにあてはめて、同じ時間割、同じ空間で学ばせる。

そのことに無理があるんじゃないかと感じます。

私たちは、日本の一斉授業には限界があると感じてオランダのイエナプランを知るためにオランダに行ったり、フリースクールの見学に行ったりしました。

でも、そうした教育はどうしても「一般的なやり方ではない、特別な教育」として取られがちでした。

 

カナダでは、多くの教育委員会が、登校型の学校とは別にオンライン型を設けています。

生徒はどちらを選んでもOK。
オンライン型はHome Schoolingと呼ばれて、決して珍しいことではありません。

 

小学生の子どもを持つママ友のひとりは、「うちは共働きだからまだHome Schoolingは難しいけど、できる人が羨ましいな〜って思うよ」と話していました。

 

うちの長男もこちらではもう高校生なので、自分で勉強を進めます。(私はもう彼のワークを見ても一切わかりません😂)

なるべく早くAPプログラムを履修したいということで、
来年から一部の教科をオンラインスクールで進めることにしました。

横で見ていると、申し込みをしてからメールでガイドラインが届き、自分で提出物のゴール設定をして進めるスタイル。


一見自由に見えますが、そのぶん自己管理がかなり必要になります。

誰からも注意されない、強制力のない環境でどれくらい頑張れるのかな、と思ってはいますが、

でもそれも含めて、「自分で学び方を選ぶ」という経験。

 

学校に行って学ぶことが向いている子、

家で自分で学ぶことが向いている子。

一年やってみて違うと思えばまた戻ったっていい。

 

カナダの教育の中で感じるのは、
「子どもをひとつの型に当てはめるのではなく、その子の強みや個性を尊重する姿勢」です。

 

「学校に行かないこと」はダメなことじゃない。
「教室じゃない場所」での学びも、ちゃんと価値がある。

 

もしあの頃の自分にこの景色を見せられたら、
不登校だったあの子に、違う声をかけられていたかもしれません。

 

日本とカナダ、環境も文化も違うけれど、
子どもたちが「自分らしく学べる場」が日本にももっともっと増えていくといいなと今更ながら感じています。

 

カナダの高校に通う長男が今年参加したクラブ活動の一つが、「Ultimate(アルティメットという、フリスビーをゴールまでパスして繋ぐスポーツで、こちらではかなりメジャーです)」というスポーツでした。(イメージ図↓息子がこんなふうに飛べるわけではありません笑)

 

 

週に数回、放課後に集まって練習し、時々ある地区大会の日には学校を終日欠席して試合に参加します。

日本だと「学校を休んで部活の試合に行く」と言ったらちょっとびっくりしてしまいますが、こちらではごく自然なこと。

最初、「金曜は試合だから、朝早く隣町の高校まで送って。帰りは自分で電車かバスで帰ってくるね」と言われて、え、学校は?と仰天してしまいました。

 

カナダでは、クラブ活動はシーズン制。日本のように、ずっと一つの部活に専念するということはありません。

息子の高校では3ヶ月ごとにバスケットボール、ラグビーといった競技に移行し、特に人気のある種目だと「入会テスト」もあるようです。

スポーツの種類が変わっても、共通しているのは「チームスポーツ」という点。仲間と力を合わせる経験を通して、多くのことを学べるという価値観が、カナダの教育の根底にあるのだと感じます。

「学校は勉強をするところ」——これは日本でもカナダでも同じ。

でも、「勉強だけをするところ」ではない、というのがカナダの学校のスタンスのようです。

 

ちなみに長男は、高校の卓球とテニス同好会にも参加していました。これらは週に1~2回の練習と、時々他校との練習試合があります。面白かったのは、卓球のチームメンバーは長男含めみんなアジア系(中でも特に中国系多数)の子たち、テニスの方は長男以外がドイツ人の生徒たちだったこと。

これもカナダという国のダイバーシティ(多様性)のあり方を象徴するような光景だな、と思いました。

 

「多様性」というと、すべての人が一緒に同じように暮らしているイメージを抱きがちですが、カナダの実際は少し違います。

似たバックグラウンドを持つ人たちが自然に集まり、それぞれの文化圏や価値観を保ちながら暮らす。

そうした小さな「グループ単位」のようなコミュニティがいくつも存在していて、でもところどころにオーバーラップする場所があって、そこで文化がぶつかったり、混ざり合ったりする——そんなイメージが、今の私の中の「カナダらしさ」かもしれません。

 

学校という枠組みの中で、勉強だけでなく、スポーツや人間関係、文化の違いも含めて「学び」がある。

日本での教育現場を経験し、またそれと全く違ったカナダの学校生活を経験できることそれ自体に、教育移住の意味があるなと感じています。