ふきげんなひと | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

夕方 あるお店に入ったのだけど

込み合う時間帯ではなかったからか

スタッフさんは少なく

私が入店した ちょうどそのタイミングで

他のお客さまへの対応も立て続いたらしく

ずいぶん待たされた

 

 

そのときの私は

●雨が降りそうだったから はやめに帰りたかった

●自宅に宅配が届いていることを知っていたので 荷物を片づけなくちゃとおもっていた

●疲れていた

●じゃっかんトイレをがまんしていた

 

・・・なにより その日 人間関係でさびしいおもいをしていた

 

 

という もろもろ いい状態ではなかった

 

 

 

そんな私の状態を知るはずもないスタッフさんは

私を待たせていることを気にされていて

私への対応のときに

「大変お待たせして申し訳ありません」

と ひと声かけてくださったし

スタッフさんには なにも問題がなかった

 

問題があったのは 私である

 

 

「大変お待たせして・・・」

と 言われているのに かぶせるかのような

「ほんと! ずいぶん待たされた!」

というふきげんな空気が出ちゃっている

 

スタッフさんになんの落ち度もない

 

 

私が帰るときにも

最敬礼で 送ってくださった

 

 

問題があったのは 私である

 

 

私が 「さびしい」というおもいを抱えていたから

ふきげんさが表れたんだ

 

 

 

 

「ひとのことは変えられない

変えることができるのは 自分だけ」

 

というのは こういうことだよな

 

私のふきげんは

ほんとに スタッフさんたちのせいではなかったもの

 

 

ただただ その日 さびしいおもいをしていた

 

それなんだもの

 

 

 

今まで生きてきたなかで

「ふきげんなひと」のそばにいるときは

そのひとのきげんを なんとかよくしたい と想っていたし

きげんがよくなるように 行動してきた

 

同時に

私がふきげんなときは 

「私のふきげんをどうにかしてよ!」

と 想っていた

 

 

・・・そんなむちゃなことを 当たり前だと想ってきた

 

 

 

 

ふきげんでいる状態は しんどいけれど

 

ふきげんをなんとかしようとすることは もっとしんどいのかも

 

 

 

 

 

ああ 私 さびしいんだな

 

ああ 私 ふきげんなんだな

 

 

 

しんどいね

 

 

 

というところで 止めておこう