手放す方の わたしの「ふつう」 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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東洋医学と西洋医学を融合し
陰陽五行理論とからだの反応をもとにした
キネシオロジー(筋肉応用学)を使って
無意識のからだのストレス反応を
意識的に変えることで
気づきと健康に役立つサポートをしています

わたしの「ふつう」 が 
わたしが したいこと って書いたけど




わたしの「ふつう 」は  
いわゆるの『ふつう』じゃない


わたしが 「これ あたりまえ」
って おもってても

だれかのあたりまえじゃないだろう

(毎日 42筋するのは 『苦』だったりするでしょ?)


だれかの「こんなことできて あたりまえよー!?」
と おもってることが

わたしのあたりまえじゃないんよね

(体重なんて かんたんに落とせるでしょ?
とか
計算が はやいとか
そんなの わたしには ぐるぐる(@_@)することだもんね)




わたしの「ふつう」も
いつのまにか  変化してるものもある


20歳のわたしは
料理する気すらなかったし できなかったけど

30年近く経ってみると
毎日のご飯作り してるもんね!?

20歳のわたしからしたら
想像できん!!


毎日 2時間くらい台所に立って
なんやかんやしてるんだから
そりゃあ できるようになるわなぁ

(ほぼ毎日 2時間×300日だとしても
いったい何時間よ?
すっごーい!
トータルで
いちばん 時間かけてることかもしれん )



そんなことを経ての
今のわたしの「ふつう」 ってのもある




わたしの「ふつう」 で 
手放すものは どのくらいあるんだろう?


おもしろいのは
『今』のわたしには 
手放すものが 何なのか
わかってないこと

もしくは
手放すことに 気がつきたくないか
手放すのが 怖いか

(こっちだろうなぁ)




手放す方の わたしの「ふつう」

こっちに 気がつきたい

(潜在的に 大きな可能性が秘められてそうだ)