三姉妹で育った私は
3人でいること
3つに分けること
が 「苦」にならない
むしろ
心地よく感じたり
パワーを感じることもある
ひとつのおやつを 3人で分けることは
人によっては 難しいことかもしれない
きっちり「三等分」にできているのかどうかは
置いておいて
3人で分けようとすることが「当たり前」だという感覚が
自分にあることが 素晴らしいと想う(笑)
うちの両親は
「子どもは3人」と 決めていたそうだ
しかも 「女の子3人で 2歳ちがいずつ」と 決めていて
決めたことは 「当たり前」にそうなるものだと疑うことすらなかったそうだ
なぜ「3人」なのかを
かつて 母にたずねたことがある
母は
「(ひとつのものを)分けるのが 難しいから」
と 言っていた
ひとつのものを 半分にするのは
たやすい
だけど 3つに分けることは難しいから
難しいことをするべきだ
・・・ということらしい
はなから 3人だったので
3つに分けることが 当たり前に育ったのだけど
育つ環境のなかで 培われた「私が持っているもののひとつ」
なのかもしれない
小さなロールケーキを
娘と息子と私で
三等分しながら
そんなことを 想っていた
三本の矢
「3」という数字
好きである