「プロセスを信じる」 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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東洋医学と西洋医学を融合し
陰陽五行理論とからだの反応をもとにした
キネシオロジー(筋肉応用学)を使って
無意識のからだのストレス反応を
意識的に変えることで
気づきと健康に役立つサポートをしています

このとき

私の頭のなかなのか どこからなのか

聴こえ続けていたことばがあった


 

 

・・・「プロセスを信じる」

 

なんで このことばが聴こえてくるのかわからなかったけれど

何度となく 聴こえてきた

 

 

同期のインストラクターのなかで

不慣れな場所で

「はじめまして」「二度目まして」の方々のなかで

しかも 講習料をいただいて

「何かする」ということに 勝手にプレッシャーを感じていた

 

 

・・・怖い

 

 

どんな人がいるのか?

うまくいかなかったら?

 

がっかりされる?

つまらないと思われる?

よくわからない?

 

どうしよう

 

 

 

・・・「プロセスを信じる」

 

 

あっ また 聴こえてきた

 

 

 

どうなるかわからないけれど

「結果を出す」とか「成果がある」とか

そういうところにたどり着くかわからないけれど

できることしかできない

 

 

大切なのは 「尊重すること」 よね

 

 

ぐらぐらになりそうになるし

実際 ぐらぐらなんだろうけど

「尊重すること」と

「プロセスを信じる」なら

できるだろ?

 

 

 

10が できたとして

0が できなかったとしたら

 

・・・ろ・・・ろく?

 

おっけー かなあ?

 

 

 

 

 

 

そんなふり返りをしていると

中学生のときのことを 想い出し始めた

 

この時期のように

暑い夏

 

バドミントン部だった私は

閉め切った体育館の中で

周辺の中学校が何校か集まった「練習試合」をしていた

 

私は 「ダブルス」が自分の専門だと想っていたし 好きだった

 

だが その「練習試合」の終盤

顧問の先生に いきなり不慣れな「シングル」の試合に出るように言われた

 

しかも 対戦相手は 私が大っ嫌いで苦手だった他の中学校の「部長」だった

 

 

・・・「シングル」で しかも「Fさんと~!?」

 

 

はあ~!? なんで私が?? 

はあ~~~~~!?!?!?

 

私の内側は 傲慢の嵐だった

 

 

 

試合中

ずっと はぶてていて

相手に不遜な態度をとって

結果 惨敗だった

 

 

 

すべての試合が終わり 片付けも終わり

内輪でのミーティングでのこと

 

1年生から3年生が集まっているなか

顧問の先生から

「おい、〇〇!

お前の今日のあれは なんや~!?」

 

チーム全員の前で 先生から怒鳴られた

 

(そりゃ そうだが)

 

「・・・私は いつもはダブルスだし

今日はいきなりのシングルだし

なんとかだし かんとかだし」

 

私は しどろもどろに 言い訳をしていた

 

 

先生は

「わしは いつものお前のプレーをしてほしかった

大きな声出して

いっしょうけんめい 拾って

(楽しそうに)試合をするお前のようすを(みんなに見せたかった)

それなのに あれは なんや・・・」

 

 

私は

センスのある選手でも

体力のある選手でも

なかった

 

ただ 声と勢いと楽しさで バドミントンをしていて

「ダブルス」のパートナーの実力にのっかって

試合に勝てていた

 

 

声だけは 出せれる

届かなくても せいいっぱいは 追いかけられる

 

実力もテクニックもないけれど

なんとなく ポジションをもらえちゃってる選手だった

 

 

自分で実力のなさは よくわかっていた

私よりセンスがあって 体力のある選手は

たくさんいた

 

 

しかし

「シングル」で試合に出ると

それが 明らかになる

 

「ダブルス」でごまかせていたことが

ごまかせない

(ごまかせてもいなかったのだろうが)

「3年生で副部長で いつもえらそうにしている私」が

後輩たちの前で 負ける試合を見せるのは嫌だ

 

 

その怖さ?をごまかすために?

あの不遜な態度の試合になったのだろうか

 

 

結果 

顧問の先生からの信頼は 崩れた・・・ように感じた

 

先生から どう想われるか というより

私が 私をいやに想った

 

惨敗より 怖さをごまかして不遜な態度をとっていた自分が

恥ずかしくてならなかった

 

 

 

あのときの恥ずかしい想いをするくらいなら

できないことをさらけ出す方が ましじゃないか?

 

 

その後の人生でも

そんな経験をしても 忘れてしまって

怖さでごまかすことは 何度も何度も あってしまう

 

 

 

今回は かろうじて

 

「プロセスを信じる」

が 聴こえてきたので 救われた

 

 

 

あのことばは

たしか トニーさんのことばだったよな?

 

走り書きのメモで確認すると あった!!

 

トニーさん(⇒ )が言われていたのは

「プロセスを信頼すればいい」

だったけれど