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私が 設定する「いいおかあさん」というのは
私が 私の母親から得たかったもの、得られなかったものに基づいているようだ
もう少し しぼると
今の私が形成されたこと
その中での、私自身が嫌いな私 があるのは
母親のせいだ
と 想っているようだ
私が、こうなったのは
おかあさんが〇〇したから または してくれなかったから
私が、こうできないのは
おかあさんが〇〇したから または してくれなかったから
私の嫌なところ、受け入れたくないところは
母親のせい
それなのに
私の好きなところや自信の持てると 私が捉えているところは
私が持って生まれたもの とか 私が積み重ねてきたもの
・・・だなんて、想ったりしてる!?
全部、ぜ~んぶ でも ないにしてもだ
私が嫌だ、受け入れたくないと 想っている または 決めているだけで
それは 本当に 嫌で 受け入れたくない、もしくは ダメなところなんだろうか
もしかしたら、愛すべきもの だったりするのかもしれない‥‥?
私が 私の存在を愛したり、赦したりするならば
いや それができなかったとしても
母親のせいにする ことをやめるだけで
私が設定する「いいおかあさん」というものは、覆される
設定が 変わる
設定が変わると、あらゆるものの見え方、捉え方が変わる
私が 子どもたちにとって「THE いいおかあさん」
だと思い込んでしてきたこと、していること
そこが 変わってくる、変わってきてしまう
これは‥‥すごいことだ♡ という気がしている(笑)
「自分を愛すること、赦すこと が すべて」
に つながり、ひろがるのだと
見たり、聴いたり する
頭では わかったような気がしていたが
ここの「設定」に やってくるのかと
おもしろくなってくる
「望郷の父」 で 父についてのさまざまな想いをつづっている私に
「たえこちゃん(私の本名)は おかあさんに想うところは ないの?」
と たずねられたことがあった
*たずねてくれたのは この方 → ☆
東広島で 四柱推命とタロット占いをされている、恵 みゆ さん
・・・そうなんだよね、あるんだよね
おとうさん より むしろ、おかあさん だよね
「母」という存在は 根源だと想うから
最後の「膿」のようなものが 出てくるようで
軽い気持ちでふれられないような?
だけどね
ゆっくりゆっくり ふれてこれたのか → ★
生爪をいきなりはがすようなことに ならなかったのかもしれない
新しい爪が整ったところで
機が熟して
かつては活躍していてくれたけれど、今ではお役御免となり
ほろり と
自然に 古い爪がはがれ落ちたのかもしれない
夫のせいにして
父のせいにして
母のせいにして
子どもたちのせいにして
何かのせいにして
自分を守って生きてきたらしい私だけれど
もう そういうのは、(やめたら)いいんじゃないか
そうやって生きてて、生きづらかったんだもんね
生身の存在を むきだし にする
それを やりたいんじゃ~ないか♪