祖母の七回忌の法要
親族はすでに顔を揃えていたが
お経をあげてくださるお寺さんが
時間になっても いらっしゃらない
「電話してみる?」
法要を取り仕切っている叔母にたずねると
「いいや、かきゃーせん(電話をかけない)」
とのこと
そんなところは、田舎ならではの心意気なのかな
「お寺さん、忘れとってんじゃろ」
「そうかもしれん‥‥しょうがないじゃろ」
そんな話が 聞こえてくる
しばらくして 若いお寺さんが
後ろ髪ぴょこんとはねさせて
やって来られた
読経が始まる
このお寺さんの読経は 声が合わせづらいなぁ
と 思いながらも
私は 声を出してお経をあげたいので
自分のトーンで 声を出していく
お経が進んでいくうちに
こちらのお寺さんの
音の上がり方、つぎ方が
わかり始めた
声が 重なってきたように感じた
その感覚が とても楽しい
お寺さんのお説教に
父は 泣いている
おかあさんを恋しがって? 泣いている
もうひとり ぐずぐず音がする
なぜか 妹もhttp://s.ameblo.jp/futarigasaiko/も泣いている
‥‥なんで あなたが泣いている?
お寺さんのお説教が終わると
叔父が声を出した
「お寺さんは 一昨日 おとうさん(先代のお寺さん)を亡くされたばかりのところを 来てくれちゃった
よう来てくれちゃった
(お寺さんのおとうさんのために)みんなで 黙祷しましょう」
‥‥そうだったんだ
そんなときに
ほんま、よう来てくれちゃった
お寺さんのお説教の話の中に
縁は ふち
ふちは 肉体
ふち=縁 の中で 生きる私たち
同じふちの中にいる人の間で
さまざまな感情がわき
自分の姿を見つけている
というようなものがあった
目を赤く腫らして
お経をあげてくださった、若いお寺さん
数年ぶりに顔を揃えた親族
おばあちゃんが 繋げてくれたご縁(=ふち)
心地のいい空間だった