ミヒャエルの情景
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大いなる自然よ、
母なるいのちよ
私の意志のなかに
あなたを担います。
そして私の燃えあがる
意志の炎は
みずからの精神を
剣のように鍛えあげ
そこから生まれた
確実なる自己感情によって
自分のなかでしっかりと、
自分を支えていくことが
できるのです。
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暑い夏の時期、
太陽は高く輝いていました。
しかし秋になって、
太陽の位置は
じょじょに低くなり、
ちょうど春の位置に
下がってきました。
1年をレムニスカートで表現すれは、
8の字の上は夏、下は冬、
そして真ん中の交差地点は
春と秋がやってきます。
春のお祭りである復活祭と、
秋の祭りは、
深いつながりがあることが
わかります。
復活祭は、神なる存在キリストが
死を克服し復活するお祝いです。
自然界も同じように
冬の死の時期を乗り越え
春にむけて新たに復活します。
では秋の場合はどうでしょうか?
自然はこれから
枯れて死んでゆきます。
しかし先週も出てきたように
「いまやっと自分を取り戻した」
私たち人間が、
秋になって今度は新たに
「復活」する番なのです。
夏は輝く太陽のもとで
私たちは自分を失っていました。
私たちは無意識に
崇高な神的力を授かっていた
にもかかわらず、
予感するだけで
認識はしていませんでした。
しかしまわりが涼しくなり、
天高く澄み渡っていく
空気のなかで
自分自身を
取り戻した私たちは、
自然をはっきりと認識し、
夏は自然の懐に
抱かれていたのだと
気づいたのです。
だからこそ
次のように言えるのです。
「大いなる自然よ、
母なるいのちよ」
と。
そして私たちは
母なる自然を
「意志のなかに」
担っていきます。
今、自分と自然が、
はっきりと分かれました。
もう一体化はしません。
そして私たちは
灼熱の夏の暑さを無意識のうちに
意志のなかにとりいれていました。
だからこそ今、
自分のなかに生きるものを
「燃えあがる意志の炎」
と呼ぶことができるのです。
まるで鉄が熱い炎のなかで
打たれるように、
精神は
「燃えあがる意志の炎」
のなかで
打たれなければいけません。
鋼は炎のなかで
溶けることによって硬くなります。
第9週では
「自分独自の意志の偏り」
は忘れられました。
しかしそのなかで
「偏った意志」
は神秘の力によって
夏の灼熱の炎のなかで
鉄が打たれるように鍛えられ、
偏りのない勇気をもった
「意志の力」
に変わったのです。
鋼は灼熱の炎のなかで
打たれたあと、
ジューっと音をたてて
冷たい水のなかに入れられます。
そのように意志も
認識の水のなかで
冷やされていくのです。
思考と意志が
正しい働きをするとき、
調和のある
「確実なる自己感情」
が生まれ、
私たちはしっかりと
自分を支えていけるように
なるのです。
行動する人間のなかで、
大天使ミヒャエルは
大きな力をもたらしてくれます。
その彼がいつも
手に持っているのが
まさしく
鋼の剣
なのです。
感謝してます