最近の心に残る、すごく考えさせられたこと。
私の失敗経験。
目の前に見せられる現実について。
1週間前、子猫が「ミャミャ」と団地の中を、
夜遅くに彷徨って泣いていた。
母猫を探しているのか。
食べ物が欲しいのか。
その子猫が、家の明かりに引き寄せられたのか、
窓の直ぐ側で泣き声を上げていた。
何か波動を感じているのか。
こころの葛藤。
そのままにすべきか。えさをあげるべきか。
悩みに悩んだ。
与えることで、これからも生きていけるのか。
子供にもよく言っていた、
「ずっと育てる覚悟があるのか。」と。
今、猫には手をやいている。
庭のあちこちに糞をする猫がいる。
近くの住人が餌を与えて、野良猫となった数匹の猫。
周りの家々も困っている様子だ。
昔の話。
そういえば、いつも側に猫がいた。
私が子供の頃、祖父さんが猫を飼っていて、
家の中に自由に上がってきていた。
そして、祖父さんのひざの上にちょこんと乗る。
酒のつまみの魚が目当てだとわかる。
猫は本当にかしこい。
店の商売がうまくいっていた頃は、猫がずっといた。
そして、私が成人したときに、猫がいなくなり。
商売が上手くいかなくなった。
あれから、何年たっただろうか。
お店も元のように戻った。
猫はいないが(まねき猫がある)、
お店の軒先に毎年つばめが巣を作るようになった。
まねき猫があるように、
猫と商売はなんらかの関係があるのだろう。
話をもとにもどそう。数日前の夜。
たぶん子猫だと思われる猫の声が聞こえた。
その声を聞いたとき、あまりの刹那さに涙が出てきた。
犬と喧嘩をしているのだろうか、
声が枯れ、数日前の人なつっこい声からは程遠い、
「ギャギャ」という敵に向かう激しい泣き声になっていた。
その子猫にとって世界は敵だらけになったのかもしれない。
今でもその声に耳に残っている。
もし、自分が抱き上げてさえいれば、
こんなにも、厳しい経験をしなくてはならなかったのかと。
愛情を欲していただけなのかもしれない。
それを、無視したことへの懺悔の気持ちが溢れてくる。
いつも心にあった、とても考えさせられる1週間だった。
そして、今の世の中の子育てがダブってみえた。
皆さんならどうするでしょうか。
私は、もし今度、子猫が迷いこんできたら、
しっかりと抱きしめてあげよう。
ずっと育てるなんて覚悟はいらないと、
今ははっきりと受け入れることができる。
考えずに、もっと感じることを。