空は、碧く、何処までも広く。 -10ページ目

空は、碧く、何処までも広く。

うまく生きられない、混沌としている日々は、双極性障害のせい?ときに、途方もなく明るく有能な気がするのに、ある朝突然消えたくなる。



調子が優れず、病院にすら行けなかった。


殆ど24時間布団からでられず。


2、3日予定を入れたらすぐこうなる。


しかし、以前は毎日のように布団から出られない日々か、まる3日起きて活動し続けているかのどち

らしかなかったから、まだ良くなっていると言えるのかもしれないが。



何もしないでいると、職場復帰とお金に対する不安ばかりを考えてしまう。

経済的な問題から、「復帰しない」という選択はない。

問題は、「いつから」そして「どのように」。


職場を離れれば離れるほど、自分の戻る場所がなくなりそうになる。

私がいなくても、仕事は回っている。

そんな当たり前のことにいちいち傷つく。

馬鹿らしい。

「しょせん、お金のため」

と割り切って、何食わぬ顔で復帰すればいいのだ。

だけど、そのためには、自分で復帰へのリハビリを行う必要がある。

肉体的にも、精神的にも、お金のためと割り切るロジックを自分の中で確立してからでないと、

復帰が仇となるだろう。



それにしても、焦っているのは、私ばかりだ。







今日は、出勤日だった。


相変わらず、仕事に出る日はあまりよく眠れない。


5時に目覚める。

爽やかな1日の始まり、とでもいったところ。


一応の朝ご飯を食べて、薬を飲む。


薬を飲みながら、私はもう後戻りできない、そう思う。




自宅勤務になった気付いた。

私にはコミュニケーション能力が欠如している。


それをなんとか補おうとするから、仕事場に行くと恐ろしく疲れ切っている。




職場では、同僚が私の後任として、いとも容易く切り盛りする。

その姿は、私にとっては耐え難い。

まるで苦行。

しかし、ここで私は彼女のしたで働くことも、逃げることもしない。

したくない。

このままでは終われない。

彼女と関わりの少ない業務に、復帰するならしよう。

私が発病したのは、仕事ももちろんあるが、仕事が嫌いなのではない。

今はまだ混沌としている…

復帰できる日には、整理して、きちんと戻る。








猛烈な低気圧のせいか、すこぶる調子が悪い、ここ数日。


ほんの数日前まで、平気だったことがなんとも苦行に感じられる。



しかも、主人が突然こんや実家に行くという。


それが鬱に拍車を掛けたのは明白だ。


しかし、なんとか持ち直す努力。


「3週間安定期が続けば…職場に行く回数を増やす」

それが今は生きる指針。


今は、週1だからなんとか家事もそれなりに出来ている、と思う。

職場に行く回数が増えることで怖いのは、家庭生活が疎かになったり、

家事が出来ず、イライラが募るのではないか、という辺り。



あまり、考えすぎてはいけない。

なんとかなるだろう。


そういう楽観視出来ることが苦手なのが私の問題だ。

スケージュール立てて、その通りに決行されないと、不安になってしまう。




今日は、鬱モード全開で寝ても覚めてもベッドの上だった。

久々の劇鬱に、ベッドの中でひたすら死ぬことだけを考えていた。

何も考えたくなかったので、安定剤飲みまくって寝逃げしたかったけど、

適度な薬も見つからず…



………こんなんで、明日に仕事に行けるのか。


頑張るしかない。





だから、明日の服もきちんとセットした。

病んでいると思われないようなきちんとした仕事着。


ああー仕事、バリバリと仕事がしたい。




とりあえず、睡眠薬として、アモバン投入。

アモバンは苦味が嫌な人もいるみたいだけど。

私はこの苦味にある種の心地よささえ感じる。
















3週間、調子が落ちなければ、安心。

医師がそう言った。

まだ不安定なことも多いが、半年前よりは、随分改善しつつある。

具体的に何が、というのはないが、世界が軽く見える。

いちいち疲れても、その程度は深くなく、以前よりも早く持ち直す、そんな感じがする。

職場は、復帰を望んでくれ、またいつまでも待ってくれるとまで言う。


「改善傾向だから、一歩ずつ」

と、医師はしつこいくらい私に言う。

だけど、職場に戻りたいと望む自分がいて、密かに考える。

「今月いっぱい様子を見て、大丈夫そうなら来月から出社日数を増やそう」



躁鬱の波と闘うのでなく、共存する方法。

病気の診断を受けてから私が常に考えること。

ライフワーク。

私がこの厄介な問題とうまく折り合いをつけるには、私自身だけでなく、

周囲にも私との折り合いをを付けてもらうためのレシピをこちらから提示する

必要があるだろう。




薬は、先週と変わらず。

ハルシオンだけでなく、処方外のアモバンも服用していることは医師に告げられなかった。










仕事からの帰り、ふと、空を見上げるとそこには、

陰る月が見えた。


「ああ…今日は月蝕だった!」

と、急にテンションが上がり、帰る足を止め、そのまま観測。

正直、大袈裟なのか、仕事と月蝕で躁転してしまったのか、

月が徐々に翳り、そしてその陰の圧倒的存在感に酷く感激した。



「そりゃあ、自然の力には敵わない。」





やはり、躁転してしまったのか、帰宅しても興奮が止まらず、

月蝕に纏わるニュースをチェックしまくり、果ては、仕事のアイディアや

構想をノートに思いつくまま書いた。

書きながらも、思考がまとまらずやたら興奮する自分を感じ、恐怖を感じた。

「躁の状況で、いくら目標や構想を広めてしまっても、鬱になるとそれは机上の

空論と化すだけなのに。そして、また躁のときの突飛な思いつきにくるしめられる

に過ぎないのに。」


予測の立たない、そんな毎日。

明日になると、撃沈するかもしれない、と考えると眠る気になれない。

軽躁状態が普通の状態ならいい。

それなら、私はもっと生きやすく、普通に仕事や家事が出来るだろうに。


でも、そんな日々がお度ずれる可能性は低く、私は私のこの躁鬱と付き合う

生き方を考えないといけない。

「自分の心との共存」、それが私の難関でかつ最大の人生の課題。