広辞苑の改定に伴い、”LGBT”という語句も辞書の1ページに記載されることとなりました。
そう、ことばは自由だ。
※画像は紀伊國屋書店さんwebより拝借※
~広辞苑第7版より~
LGBT:(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字)多数派とは異なる性的指向をもつ人々。GLBT
なるほど、様々な議論が飛び交っていることにも納得。唱えられた異議の大半は、LGBとTは異なることを主張。マスメディアによる情報提供に基づくと、Tは性的指向とは全く関係ない、Tは性的指向の少数派ではない、と。
誤った知識が世論に浸透するのは避けなければならないものの、この記述から歩み寄りを感じずには居られない我々はこの場合、
多数派とは異なる感覚をもつ人々。Lism
に、なるのでしょうか、なーんて。
LGBT:(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字)セクシャルマイノリティ、性的少数派の人々。
であったのならば、議論は起こらなかったのでしょうか。きっとそれはそれで微妙なニュアンスの違いを指摘されたのではないでしょうか。
通例に準えると、”性的少数派”と記載されたはずなのに、何故”性的指向”という語句が採用されたのでしょうか。そこには”SOGI”という新しい概念の存在があるのではないでしょうか。しかしながら、広辞苑は社会的定義として引用にも使われる程の、ひとつの尺度ですので、一過性の単語は構成要員にはなれません。つまり、需要の見込まれる単語を選定する必要があった。社会的認知度の高い”LGBT”に”SOGI”の存在も含意させた結果が第7版の記載。
そう考えてしまう我々は、きっと少数派。
ことばは自由なはずなのに、そのことばに捕らわれ、縛られているのは一体誰なのでしょう。
異論を唱えることは簡単です。
・性的指向を「同性」「異性」ではなく、「女性」「男性」で捉えるからこそ、”SOGI”というコトバが意味を成すのであって、そこには多数派も少数派も存在しない。
どうせならば、生産的なご指摘をして差し上げましょう。異論の唱え方によっては、この記述に”T”の要素が加筆されるだけの修正になる可能性もあります。今この瞬間の異議よりも、何十年、何百年先のみらいのために声を発するほうが、きっとずっと意味が在る。
また、定義よりも目を向けるべきは、岩波文庫さんが校閲を通しても尚、社会の認識はその程度であるということです。受け入れ体制が整ったわけではなく、単に耐性ができただけ、社会を過信することなかれ。そして忘れてはならないこと、受容にだって自由があって当たり前。
ことばだけは自由なんだと思う。
自由だからこそ、美しく使ってあげようね。
たったひとりのために。
Lism/maai