そのチケット | 鉄火のこまきの平凡な日々時々宝塚

鉄火のこまきの平凡な日々時々宝塚

蘭寿とむさんのご卒業を経てライトな宝塚ファンになりました。平凡な毎日を日記代わりに書いています。食べることが大好きで単純なのに時々変なことを掘り下げ始めますがよろしくお願いします。

ウイルスに苦しめられた4年、そしてそれは過ぎたのか過ぎてないのかよくわからないけど

マスク民は減り海外のお客様は戻ってきた。


ほっとしたのも束の間。


昨日のチケットを握りしめて泣いたこまきです一年ぶりにこんにちは。


忘れた頃にやってくる公演中止。今まで宙と雪と星と花(の公演)を見送った。もうないでしょうと希望を込めて勝手に思い込んでいた私を朝のLINEは打ちのめした。


それはもちろん悲しくやるせない。

そしてまず「なぜ今日!」と思ってしまう凡人の私。

なぜもしかしもないのだ、それは突然やってくるのだ!(己に言う)


ただ神棚に置いといた(本当に置いた)ものが紙切れになったことは残念無念の一言に尽きる。


その次に

「今までは高熱が出ても休演できなかったんだなぁ」と改めてしみじみと思った。

新型インフルエンザの時休演者が続出した記憶、そして大きな病気や骨折で公演中止や差し替えもあったしトップの代役を見たこともある。


でも公演がポコっとなくなってまた始まるそれはいつ来ていつ終わるかわからない

という記憶はなくて


現役時代具合が悪いから休むという概念がなかった、とめおちゃん(真野すがたさん)のブログで読んだことがありますが

「休まない」を貫き通すことはすごいことで、しんどくてもどれほど大変でも公演はやるもの、と頑張ってきた人たちに敬意を払うのと同時に、

今の「高熱や体調不良で公演を中止」と発表するという、おそらくあの頃は誰の頭にも浮かばなかったことが現実になったこともまたすごいと思う。


いい悪いとか褒める貶すじゃなくてすごい。5歳児の感想だけど。(5歳児が怒りそう)


だってあちら側の皆さまも大損害はもちろんだけどまず色んなものを届けたかったに決まっている。決まっている(2回め)



舞台の人の瞳はもちろんキラキラだけど客席の瞳だって写鏡みたいにキラキラしてる。


その瞳を見て笑顔を見て拍手を聞いて舞台の人はますます輝くんですよねそうですよね(質問?)


だから悲しくて悔しくて残念なのは舞台の人(やその周りの人)も同じなわけで、この公演中止で泣いたり自分を責めたりしてないかと勝手に心配する。


泣くのはともかく自分を責めるのはやめて、体にも心にもよくないから(つぶやく)


私も泣いたけどご贔屓を観られるたった一度の公演だった方も新幹線の中でLINE見た方もおられるはずで心中お察しします。お察しすることしかできない。


私もムラにうきうきと到着して「公演中止」の貼り紙の写真撮ったことがあります。

この切なさというか儚さというか脱力感というか?

これはいつどんな形で私にご褒美として戻ってくるのか?(前向きか)

こう書くとよく「ふざけないで」と言われたりしました(昔)

が、私の方が悲しいとか大変とか言っても公演は戻らないしなんか空しさが増す気がする。

ファン同士、いえ舞台に立つ人も観る人も労り合うしか道がない(と思う)


中止になった公演、戻すチケットと手続き不要のチケットがあるじゃないですか。 

その手続き不要だった手元にあるチケット、私は処分できない。

観劇したものはすぐお別れするので保存派の友達に「信じられない」と言われる私ですが

観ていないんだもの、食べてないごはんは消化できないのと同じで(同じ?)


こうなったらそのチケットは私の旅立ちの日に一緒に入れてもらおうかな、そうしたら神様が気の毒に思って次はもしかタカラジェ…(以下自粛)


なんてどうでもいいことを書いていたら明日公演再開のニュースが。ひとまずよかった。

泣く人は少ない方がいい。


しかし日曜涙した4000人?ぐらい?にはきっといいことがある!(含む私)